第176回 絵本ができた! その1

2023.4.30
いしだのおじさんの田園都市生活

絵本が完成して手元に届いた。
『でんえんとし さとやまっ子』
文 石田周一 となっている。
関係者のみなさんに感謝です。

この原稿を書いている時点では、まだ配布先リストの作成中で、
お届けはこれからになるのだが、
完成までの過程を少し紹介したい。

私が子どものころの我が家には、
『こどものとも』『かがくのとも』が毎月届いていた。
(福音館書店の絵本。今も毎月発行されている)
しかし、熱心に読んでいたのは、両親だった、ように思う。
私は、あまり興味を持っていなかった。
もったいなかったな、と、今、思う。

妹弟はどうだったんだろう。
妹は今の仕事(人形劇団)につながったのかな。
兄・妹・弟が大人になって家を出ても、毎月届いていたようだ。
両親がいなくなった家に数百冊の絵本が残っていた。
『たくさんのふしぎ』(同じく福音館書店)も、たっぷりあった。
子育て中の友人や絵本好きの友人に譲った。
友人や子どもたちは、よく読んでくれたようだ。

母は、安野光雅さんやかこさとしさんも好きで、
安野さんの本はまだ我が書棚にあったりもするが、
これらもゆっくりと開くこともなく、こやし状態。

そんな、私が、絵本を創ることになった。

NORAの20周年記念事業。
(実際の20周年は数年前に過ぎているが、、、)
理事会?で、記念事業の内容を検討していたときに、
「かるたがいい、のではないか」と提案した。
『蒔田歴史かるた』(2015)で実績があったからだ。
そのことは憶えていたのだが、
そのときに絵本の提案もしたようで、
それは、すっかり忘れていた。
のだが、
イイダシッペとして担当することになった。

今、ふだん、絵本を手にすることがほとんどない。
家に豊富にあったのに、手を出さなかった実績もある。
そんな私が、、、
「大丈夫かなぁ」と、思った。
けれど、「オモシロそうだな、オモシロがろう」とも、思った。

そして、しかし、私は、絵が描けない。
人様に見せられる絵が描けないだけでなく、
ラフなデッサンを描くセンスも技術もない。
筆記具を手にしても、頭の中にイメージさえできない。
この能力不足には、かなり、苦労した。
テーマを決めても、文章が浮かんで来ても、
アウトプットイメージがなかなかできず、
読者がなにを受け取ってくれるのか、が、見えず、、、
すると、私は何を届けたいのか、も、曖昧になり、
あれやこれやと、頭の中でグルングルン。
すると、文章も、テーマも、逆に壊れていき、
ふりだしに戻ってしまうという、悲惨な状態だった。

しかし、ここに、助っ人というか仲間の存在があった。
吉武さんは、ストーリー構成、枠組みを示唆してくれ、
私が書いたしどろもどろの文章にも的確なアドバイスをくれた。
そして、なんといっても、絵をお願いできる画家さんが身近にいてくれた。
吉武、石田の職場から数分のところに住んでいる中畝治子さん常雄さん夫妻。
プロに頼むことができたのだ。
いや、強引に頼んでしまった。
夫妻は身近にいるというだけでなく、里山に暮らしている、のだった。
これが、里山の絵本作りに大きな意味があったと思う。

自分の能力不足を他者に依存しながらことを進める。
それで良い、
のではないか、と、ヒラキナオッタ。

しかし、それでも、テーマがなかなかしぼれず、
思考も文章も迷走し、困った。
困った。

「里山にかかわる暮らしを絵本などで楽しく表現し伝える」という事業の目的があった。
また、
「これまで自然や里山に関心を持っていなかった都市生活者(特に子育て世代)に向けて、
里山とかかわる楽しさや意義を伝える」
という、目的に対する方法があった。
つまり、できれば、里山のいわば外にいる人にインパクトを与えるものを創る。
そんなダイソレタコトを勝手に考えて、悩んでいたのかもしれない。

里山公園に勤務し、里山にある農園で障害者と畑を耕し、空き時間で自分の畑を耕す。
そんな、どっぷりと里山暮らしをしている自分が「里山の外にいる人」を意識する。
なかなか難しいことだった、のかもしれない。
アレコレ考えた末、いや、もう、自分のことを書くしかない、と、思った。
自分のまわりにある里山の日常を紹介する、で、いいじゃないか、と。

最初に浮かんだテーマが「新治2022」。
2022年の今に新治にあること、おこったこと、を、表現する。
子どもたち仲間たちと田んぼを楽しんだこと。
公園に多様な来園者があり、それぞれに楽しんでくれていること。
その公園や周囲の森や田んぼがボランティアさんによって支えられていること。
それらは、とても素晴らしくワクワクするもの。
それを紹介すれば、もう、ひとつのストーリーになるじゃないか、と。

しかし、書き始めて、何かモノタリナサを感じた。
「里山の外」に届くだろうか?
里山にいて、里山のことを紹介して、相手も里山にかかわりのある人たち、
それでは、オモシロくない。
と、思ったときに浮かんだのが、「青葉台1967」だった。

私が5歳で青葉台に引っ越してきたのが、1967年。
田園都市線が長津田まで通じ、私は真新しい駅の近くの真新しい団地から真新しい幼稚園に通った。
しかし、そして、団地の裏は里山だった。(里山という言葉が世に出る前だけど、、、)
今の青葉台からは想像できない。
そんな、昔の里山、その後に開発で失われた里山に「里山の外」を感じている。
そうだ、今の青葉台に暮らす人たちにこそ、そこにあった里山のことを届けたい。
それが、「青葉台1967」というもう一つのテーマになった。

この絵本の構成や文章を考えながら、
「青葉台1967」について、このコラムに書いた。

第168回 青葉台1967 その1 田園都市線青葉台
第169回 田んぼを耕す
第170回 マッカチン
第171回 ミヤマクワガタ
第172回 里山が街に
第173回 「昔」の暮らし

このメイキングストーリーは来月も続けて書こうかと考えている。

ところで、
絵本の完成はゴールではない、と、思っている。
スタート、だ。
この絵本をより多くの多様な人たちに届けたい。
「里山の外」にいて「自然や里山に関心を持っていない都市生活者」にこそ、届けたい。
そこからうまれるものを楽しみたい。

(それでも耕し種をまく いしだのおじさん)

いしだのおじさんの田園都市生活