
神奈川・緑の劇場 vol.49
2025.7.31神奈川・緑の劇場
神奈川・緑の劇場
=当面、注目したい2025年秋の食糧生産がどうなる?=
今年の夏も酷い暑さに襲われています。
地域によっては、雨が降らず渇水の被害が現れてきました。ニワトリは卵を産まず、牛は乳を出さなくなり、豚も子豚が生まれず肉が太らなくなっています。
日本の農林水産業の土台が弱っている上に厳しい気候変動です。日本農業は、急に弱ったわけではありません。戦後の政策によって70年近い年月を経て力をそがれてきたのです。
1961年、日本の農業の基本方向を決定づけた農業基本法の『選択的拡大』の末に今の日本の農業の姿があります。当時は、今のような気候変動は想定されてはいませんでしたが、これからは、対策を考えざるを得ないでしょう。
気候変動が激しくなり、農林水産業への影響は大きくなるばかりです。私たちが生きていくのになくてはならない水と空気、食べものと、それらを育んでくれる多様な生き物と共生する暮らし方が求められています。 200年前には二酸化炭素の増大により地球環境の温暖化を予見した科学者がいたといいます。神奈川でも、毎日を自然に向き合って暮らす生産者たちは40年前には異変に気がついていました。そして、世界で地球温暖化に対応する国際会議が最初に開かれたのが1993年。二酸化炭素の排出削減目標を取り決めたCOP3京都議定書が1995年でした。
あれから30年経ち、年を重ねるごとに命の危険が迫る事態が増えてきました。 地球温暖化に伴う気候変動と農林水産業の危機は、これからは一体のものです。しかも、地球全域、人類全体の課題です。
=何十年かかっても、諦めない本当の平和、核兵器の無い世界、戦後80年目の日本の夏=
何十年も前から警告を発していたのに、地球温暖化も、日本農業の崩壊も、止めることが出来ない。さらに、いつ戦争になってもいいというかのような政治家たち、メディアの論調、そして、核兵器を持ち、徴兵制を始めて、大日本帝国憲法さながらの天皇制憲法を目指す政党が支持を集めた夏。
全国の小規模事業者の団体『全国商工団体連合会』が毎週発行する『全国商工新聞』に今年、=こんなところに戦争遺跡=という連載がある。戦争体験を語れる人がいなくなる時代に、戦争遺跡や戦時下を現した絵画、文学などが注目される。以下に抜粋したい。
=平和を誓う「石の鐘」=
長野県上水内(かみみのち)郡信濃町の称名寺の鐘楼には、大きな石がつるされています。戦時中の鉄不足を補うために鐘楼は供出させられ、その代わりに吊るしたもので、石には昭和17年10月1日供出と刻まれています。梵鐘は村人に時を伝え、亡くなった人々への供養を表し、村人の心の支えとなっていたはずです。
その梵鐘が人殺しの武器の材料として供出させられたのでした。梵鐘だけでなく、仏具も鍋や釜、火鉢の中の五徳、火箸までことごとく供出させられ…。鐘楼のバランスを保つために重さが必要で、ずっと石の鐘を見守り続けてきた称名寺住職の佐々木五七子さんに「本物の鐘に代えるつもりはないのですか?」と尋ねると「そうですね、世の中が本当に平和になったら、平和の証が見えたら、降ろしましょうか。」と、おっしゃっていました。
(2025年7月31日記三好豊)
・京都で振り売り(伝統的な農産物の移動販売)をする角谷香織さん→★★
・日本の農産物流通に3つの提案 神奈川野菜を届けて36年 三好 豊→■■三好 豊(みよしゆたか)
“50年未来づくりプロジェクト”を提唱します。
“もりびと”が木を植えて育てるように、子どもたちが社会の真ん中で活躍する時代のために、今日できることを一つずつ。老いも若きも一緒になって50年のちの日本の景色を想い描きたい。
1954年に生まれ父親の転勤により各地で育ちました。 1975年10月、杉並区阿佐ヶ谷南の劇団展望に入団。1982年退団して横浜に戻り演劇活動に参加してきました。1987年5月、(有)神奈川農畜産物供給センターに入職し、県内各地、各部門の生産者に指導を受けることができました。2004年に退職し「神奈川・緑の劇場」と称して県内生産者限定の野菜の移動販売を始めました(現在終了)。NPO法人よこはま里山研究所・NORAの支援はたいへんに大きく、これからも都市の暮らしに里山を活かす活動の一環として生産者との関わりを大切にしたいと考えています。また(株)ファボリとその仲間たちとの繋がりには、心躍るものが生まれています。