神奈川・緑の劇場 vol.44

2025.2.27
神奈川・緑の劇場

=2024年12月26日木曜日。この日、私は初めて〝茶音〟に寄った。=

中華街の延平門から善隣門へ、西門通り沿いの景珍楼本店の横に薬膳カフェ〝茶音〟の看板を見た。細い通路を抜けた先のエレベーターで4階に上がる。

以来、2月20日木曜日までに10回訪れて様々な中国茶をいただいた。夕暮れは、まだ早く訪れる。中華街の一角を見下ろしてゆっくりと過ごす。

=貴重な居場所〝茶音〟=

『先週は来れなかったよ。入院していてね。連絡したかったけれど、それどころじゃなかった。』『ええ!?いつものご病気の関係で?』

かわいい店内で、3時を過ぎればお客様はほとんど居ないと言うが、今日は私の前に二組。それで気を使って口ごもって聞いてきたのは、毎週木曜日だけ店番を担当しているというママ。

『私も先週は水曜日と変わってもらってPTAの役員会だったんです。だから木曜日は二週間続けて来れなくて。』

確かに二週間前に居たのは何麗花(カレイカ)さんだった。雑誌に薬膳の連載をしたりNHKに出演もする、まだ40代の漢方養生指導士・漢方上級スタイリストの店のオーナーにいずれ診断してもらい、薬膳茶を配合してもらうつもりだ。

子どもたちを通してオーナーとママ友となった縁で木曜日だけ店番をしているという。

話が弾むように明るい。

阪神淡路大震災が1月17日で30年目の時
『あなたは、まだ生まれていなかっただろうけれど』
と聞いたら
『まさか、余裕で生まれていました。』
こぎみよく即答して話題が展開していく。
闘病生活になって、人と話す機会が減った私は気を引き締めて会話に乗っていこうとする。
嬉しい刺激だ。

=〝大本営発表〟に惑わされるな=

二組のお客様が相次いで帰って行った。

『米が高い、野菜が高いって、すぐに天候のせい。天候のせいばかりっておかしくないですか?同じことばかり繰り返している。』

と切り出してきたのは彼女からだった。私が30年来、一番、話題にしてきたテーマに、彼女の方から語りかけてくれた。

『〝大本営発表〟ばかりだよ。信じ込まされているうちに取り返しがつかなくなる。』

本当は、米も野菜も、養鶏も、酪農も、生産者が激減している。

耕作放棄地は広がり、生産したくとも出来なくなっている。
そのように仕向けてきたのが日本の政府だ。
国民に事実を知らせず、ひたすら天候のせいにする。
遂には、流通が停滞している〝スタック〟していると、聞き慣れないカタカナ言葉を使って、政府は民間に責任をなすりつけ〝大本営発表〟を繰り返す。

〝大本営発表〟をそのまま垂れ流すメディアの責任も重い。
かつて一億玉砕を唱え、銃後を守れと強制されたあげく、原爆を投下され日本中が空襲され、大虐殺を繰り返させたように。

=元気になれる!〝茶音〟に救われた=

私は毎週木曜日に〝茶音〟を訪れたいと思っている。

先々のことはわからない。現に、うっ血性心不全で呼吸困難になり、2月10日月曜日の未明に、やっとの思いで救急車を呼んで南共済病院に運んでもらい集中治療室に緊急入院したくらいだ。

だが、あくまでも予定では毎週木曜日の夕方近くに私は〝茶音〟に来るだろう。

そして、可能ならば、食べものの話、世の中の話を彼女と交わせたらと思う。彼女からの話を聞くのも楽しみだ。


『よかった!元気になられたんですね!』
『元気じゃないから、来たんだよ』
『え?』
『いや、元気になりたくてここに来る。』
『ここに来ると、元気になれるんだ。』
『まあ!ありがとうございます!』

〝お茶〟を通して、人が集い、笑顔を交わして、時に人生が変わることもあると、教えてくれた人は、私の生涯の友として心にいつも居てくれる。そうして、私を〝茶音〟につなげてくれたのだろう。〝茶音〟が中国の薬膳カフェだったから救われた。もし〝日本茶〟だったら、私には辛すぎて近づくこともできなかった。

一杯のお茶を味わう夕暮れ時。かけがえのないひと時。

(2025年2月27日記三好豊)