第171回 青葉台1967 その4 ミヤマクワガタ

2022.11.28
いしだのおじさんの田園都市生活

ここにね、おもしろい写真があるよ。
2年生くらいの石田さんとNくんが団地の金網を乗り越えようとしているところ。
たぶん、石田さんのお父さんが撮ったんだな、って思う。
お父さんは、「こらぁ、そんなところ登っちゃあイカン!」って言わなかったのかなぁ。
わりと厳しいお父さんだったけど、呑気に写真を撮っていたのかな。

この場所は、今でもあって、金網だってちゃんとあるよ。ときどき通るんだ、今でも。
だけど、子どもはもう誰も登らないんじゃないかな。
だって、金網の向こうは、今はもうマンションだからね。
このとき、(50年以上前)そこにはちょっと崖とかもある空き地があったんだよ。
子どもたちは、そこに秘密基地を作って遊んでいたんだ。

秘密基地、やったことある?
ダンボールとか廃材とか、工事現場に「落ちているモノ」とかを集めて作るんだ。
周りから見えにくくしたり、ちょっと部屋みたいなところを作ったり、工夫してね。
そして、どういうわけか、子ども同士で敵味方に別れて戦ったりしてね。
(そのころはやっていた)火炎瓶を真似して、牛乳瓶で怪しい武器を作ったり、、、
楽しかったなぁ、、、

その空き地の向こうは、雑木林があって、そこはまたワクワクする場所だったんだ。
夏が近づくと、ワクワクが始まって、虫とりに行っていたんだ。
小学生の石田さんは、カブトムシやクワガタを狙っていたんだ。
虫たちは、クヌギなどの木の幹から樹液の出ているところ集まるんだ。
カナブンがよくいて、蝶やスズメバチやタマムシがいることもあったね。

石田さんは、いろんな虫への興味よりも、とにかく狙っている虫を探したんだ。
コクワガタはけっこうたくさんいたけど、ノコギリクワガタやカブトムシは数が少なく、
そして、ミヤマクワガタはすごーく珍しかったんだ。
だから、いちばんつかまえたいのはミヤマクワガタだったな。
木の上や、根本や、穴の中にいることもあって、いろんなところを探したもんだよ。
探しているときはワクワクドキドキ、見つけてつかまえたらオオヨロコビだったね。
ミヤマクワガタを家に持ち帰ったら、翌朝、バラバラになっていたことをおぼえているよ。
いっしょに入れていたカブトムシのオスの仕業だったのか?謎だけどね。悲しかったな。

虫取りは、朝早くに行くことが多かったね。
ラジオ体操よりも前だよ。
Nくんと、別の子たちに負けないようにうんと早起きして行ったね。
虫のいる場所も、どんどんいろんなところを探して、冒険みたいだったね。
夜に行ってすごくたくさん捕ったこともあったけど、真っ暗で怖かったよ。
そしてね、夜に、駅やライトの明るい道路に行くと、カブトムシが拾えることもあったんだ。
周りが林ばかりで、駅などだけが明るかったからだろうね。

図鑑を調べたりすれば、もっともっといろんな虫を知ることができたんだろうけど、ね。
石田さんの本棚には怪獣図鑑はあったけど、昆虫図鑑はどうだったんだろう。
お父さんは、立派な昆虫図鑑を持っていたけど、なんかムズカシソウ、って思っていたね。
お父さんは、子どものころに採集して作った昆虫標本を大事に持っていたんだ。
石田さんは、どうも、こだわっている虫をつかまえることばかりに興味があったようだね。
まぁ、人それぞれ、なのかな。

もちろん、虫になんか興味ないよ、っていう友達もいたね。
だけど、まだ、ゲームと言えば、野球盤とかボウリングゲームとかくらいで、
子どもたちはいつも外で暗くなるまで遊んでいたね。
団地の公園では、チビから高学年まででチームを作ってハンドベースや野球をしたり、
カンケリ、ナガウマ、アッカンタンテイ、などなど、楽しかったなぁ。

あのころの子どもはね、冬でも半ズボンってことがほとんどだったんだ。
雪の日なんか、ももの辺りを真っ赤にして遊んでいたよ。
長ズボンとかタイツとか履いていると、「風邪ひいたの?」なんてきかれちゃってね。
そうそう、小学校までは1時間近く歩いて通ったから、寒い日は手がかじかんだんだ。
で、教室では石炭やコークスを焚くだるまストーブを使っていたんだよ。

つづく、、、