石田のおじさんの田園都市生活

第28回 父の昆虫標本

2010.12.28
いしだのおじさんの田園都市生活

父の昆虫標本が7箱ほど家の押入れに入っていた。
ピンで串刺しになった虫の何割かは傷んで首や足がもげているし、
そもそも古い標本に価値などないと思っていたので、
どうやって処分しようかと思案していた。
今、父は生活全般に介護をうけながらホームで暮らしている。
ことばのやりとりがほとんど成立しない。
父の「趣味」は尊重したいが、それでは家の中が片付かない。

私も小学生時代に「虫捕り名人」と言われていた。
ただ、私の場合、カブトムシやクワガタばかりをねらっていた。
いわゆるカコイイ虫を数多く捕ることが目的であって、
いろいろ捕まえて図鑑にあたってピンで留めるという性格ではなかった。
「イシダクン、虫捕り連れて行って」と、
同級生の弟におだてられ、
同級生は塾で勉強しているのに、
薮蚊に刺されながら、木登りや藪こぎをしていた。

標本の処分を考えつつ踏み切れずにいたところ、
たまたまNORAの主任研究員Y女史が別件で来宅したので、
見てもらった。
それまでちゃんとラベルを見たことがなかったのだが、
1940年代のものも多数あり、
「これはけっこう価値のあるものかも」と言ってもらった。

Y女史のこのことばで、「父はいい趣味」を持っていたな」
と、確認しつつも、
「これで処分のフンギリがつくか」と思っていたら、
Y女史が専門家を紹介してくれ、
標本を「鑑定」してもらうことになった。
それでも、その鑑定後は処分だなと思っていた。

そして・・・
結論を先に言えば、
標本は父の母校である東大のある研究室に引き取られた。

その際のY女史からもらったメール、

> 先日からやり取りしていたのは、Sさん、という方ですが、
> 彼は、子ども向け昆虫図鑑や絵本ではお馴染みの研究者のご子息で、
> 父親のコレクションが東大に移ったことで、データベース化の作業を
> 行っています。
> S昆虫コレクション↓
> http://umdb2.um.u-tokyo.ac.jp/DDoubutu/Scarabaeidae/foreword.html
>
> 今日、お仲間と二人でいらっしゃったのですが、
> おぉ~! すげ~! とひとつひとつのラベルを確認しながら
> 叫んでましたよ。 (2時間くらいいました)
> ラベルが几帳面に丁寧に書き込まれていること、
> ピンを腐食する鉄から、ステンレス製のものに刺し変えてあること、
> 標本箱のガラスが浮かないように手を加えてあること、
> 同定の精度が高いこと、
> などなどから、かなりな「虫屋」だったのでは、と。
> (吉祥寺周辺の)東京都下で、昔、どんな昆虫がいたのか、を知ることから、
> かつての自然度がわかり、どのような変遷をたどってきたのか、が
> わかるわけですから、今回の標本はドンピシャ、だったそうです。

ビックリした。
父が凝り性であることは知っていたが、
中学生のころの昆虫採集がその後に通った大学で
そこを卒業して50年以上たって役に立つとは・・・
全く予想外だった。

しかし、まだその意味が理解できない私。
Y女史にさらなる解説を頼んだ。

>お父様の若かりし頃、自宅界隈で網を振り、
>小仏峠や景信山などをフィールドに出かけ、
>何かのついでなのか、たまには藤沢や群馬に出かけても昆虫採集。
>薪などを丹念に見てまわり、
>おおっ、っと思った虫をゲット。
>きっとニンマリしていたに違いない・・・
>なんて想像できちゃうんですよね。
>自然がダイスキで、当時の東京ですから開発がすすんでいく
>様子を目の当たりにし、それで、都市計画を志した・・とか。
>勝手に人物伝をつくっています(笑)

1940年代から60年代にかけて吉祥寺に住んでいた父。
60年代後半からはこの田園都市に住むようになった。
私の少年時代だ。

>標本は確か全部、甲虫類でした。
>多かったのは、コガネムシ類、タマムシ類、カミキリムシ類です。
>タマムシ類やカミキリムシ類は、
>美しいものが多く、当時からマニアが多いです。
>これらの幼虫は、種類によって決まった種の木や朽木などを
>餌として育ちます。
>なので、薪にはムシがつくし、雑木林を伐採したあとの株にも
>よく、これらのムシがやってきます。
>そのため、採集するにはそういった場所へ産卵に訪れたものを
>狙うのが手っ取り早いわけです。

>「この生物がいたら、こういった環境を表す」というものを環境指標生物、と
>いいますが、当時の吉祥寺あたりは、雑木林が広がり、薪が積んであるような
>環境(生活)があった、ということが、ラベルと虫たちからわかるのです。

>そういえば、ガムシやゲンゴロウなどの水生甲虫は、
>化学物質の入らない水でないと生息できません(有機質はないと、これらの餌が
>育たない)。多摩川の記録になっていました。スゴイよね。
>大型の水生甲虫類は、今ではどこも絶滅危惧種なのに。

>ハナノミという、かなりマイナーな虫の標本もありました。
>これは、非常に採集が難しいものです。
>それだけではなく、米粒よりも小さな虫の標本もたくさんありました。

>お父様は、それらもきちんと標本にしていらっしゃいます。
>前回のメールでも書いたように、種名を調べ、採集した年月日と場所を
>几帳面な字でラベルにしてありました。
>そのラベルは、お父様の日記であるとともに、当時の環境まで
>私たちに語りかけるものです。

>物置の奥から標本箱が出てくることはよくあるのですが、
>その標本を見ると、どれだけ大事にしてきたのか、その人の虫に
>対する想いのようなものが一目でわかるそうです。
>(Sさんが見つけたのは、標本箱の手入れ、ピンの刺し替えなど)

>お父様は、昆虫だけではなく、植物や鳥もお好きだったようですから、
>「生きているもの」に関心がいったのではないでしょうか。

この田園都市で父に育てられた私。
父とは性格や行動が違う(と、思っている)。
しかし、どこかで父の想いを受け継いでいるかもしれない。
大事にしたい。
いしだのおじさん

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