石田のおじさんの田園都市生活

第27回 野菜工場

2010.12.1
いしだのおじさんの田園都市生活

水耕栽培という技術がある。
ハウス内に養液の流れるベッドを作り、
そこで野菜などを栽培する。
トマトやイチゴは土の地面の代わりに水槽がある感じ、
ロックウールで定植し溶液のなかを根が這う。
葉物などは発泡スチロールを浮かせての栽培だ。
発泡スチロールに穴が開いている。
そこにウレタンの上に発芽させた苗をはめる。
我が社に田んぼを貸してくれている農家さんは、
水耕栽培を中心とした経営をされている。
ルッコラ、ミニセロリ、葉にんじん、クレソン、小ネギなどを栽培している。
そうそう、スーパーで三つ葉や小ネギなどを買うと、
根がウレタンについている姿を見ることがあるが、
あれが、まさに水耕栽培のものだ。
野菜が育つ環境を人工的に整備している。
ハウスという設備と水上の発泡スチロールの畑。
加温設備と換気装置などにより、
温度の制御もある程度できているようだ。
しかし、今年の夏の暑さでは野菜が融けてしまったようだし、
寒くなれば重油の価格が気になる。
虫や病気もシャットアウトというわけにはいかない。
環境のコントロールはある程度までということだろうか。

この技術を導入して障害者を雇用している農園がいくつかある。
有名なのは浜松の京丸園。
障害者の仕事として成立しやすい要素が三つ。
年間を通じて同様の作業がある。
ルーティンがあると技術を獲得しやすい。
整備された環境で生産もある程度コントロールできる。
現場を見てみると、「うん、自閉くんには魅力的かも・・・」とは思う。
いや、実際グリーンでもやってみたいと思ったこともある。
コントロールできない自然をある程度仲間たちに合わせられれば・・・
と、福祉的に当然の感覚。

そして、最近、「野菜工場」ということばをよく聞く。
どうも、その命名が気に食わない。
「室内農場」と言ってみてはどうか、などと思う。
が、ネーミングイメージの問題でもない。
栽培地は水耕とは限らないようだが、
やはり人工の栽培の場だ。
密閉空間にLED照明などでより人工的な環境。
環境をコントロールすることで防除の必要性が激減する。
つまり、農薬を使う必要がなくなる。
都会のレストランでも、
ビルの地下であっても、
緑の無農薬栽培の野菜がとりたてで食べられる。
もう、そんなことが実現している。
これをステキだ、と、思うか、
はたまた・・・どう思うか???

野菜は食べる人にとっては食べ物だ。
食べられない(食べたくない)虫がつきようのない環境。
病原菌もシャットアウト。
口に入れるのはもちろん触りたくもない農薬とも無縁。
食べ物としての野菜としては完璧かもしれない。
温度管理などで生長をコントロールすれば、
働く人も土日や連休をしっかり休んだり、
市場の状況を見て出荷量を加減することもしやすい。
猛暑だろうと、長雨だろうと、台風だろうと、気にならない。
うーん、まさに工場だ。
スゴイ。

しかし、野菜も私たち人間と同じ生き物だ。
食べられることだけを目的に存在しているわけではない。
自分が野菜だったら(?へんな言い方だが)、
お日様の下で土の上で生きるのと、
いつも人工の空間で箱入りで生きるのと、
どちらを選ぶかは・・・明白だ、
と、書こうとして、
いや、待てよ・・・
人工の空間で生きている人間が、
人工の空間で育てられた野菜を食う、
これぞ、未来的である!
言い換えれば、都市は人間工場???
先日、農協での待ち時間に「家の光」を読んでいたら、
敬愛する山下惣一さんの文章が載っていた。
佐渡の朱鷺と田んぼの話だったが、
その一節がとても美しく感じられて、
振込用紙の裏にメモして帰った。

「工業は目的としたものだけを製造する。
しかし、農業はそうではない。
農業が産み出すのは命だからである。
命は単独では存在しない。
ほかの多数の命との連鎖によって生まれ育っていく。」

(いしだのおじさん)