
第200回 16年と半年
2025.4.29いしだのおじさんの田園都市生活
恥の多い生涯を送ってきました。
この16年と半年ばかりも、恥じ入るばかり、、、
それでも、田園都市生活は続いています。
この間、
40歳代だったおじさんも、還暦を過ぎました。
それは、小学校に入学した子が大学を卒業する歳月でもあります。
不惑を過ぎても、益々惑いながらの日々が、
還暦を過ぎても、なお、ブレブレ、、、です。
この間で大きかったのは、
大切な人たちとのお別れです。
今も側にいてくれると思いながらも、
二度と会えない人たち。
明峯さん、大江さん、父、片倉さん、そして、ym、、、
また、袂を別つカタチでの別れもあった、んだよね。
サヨナラばかりが人生、、、
自分の中の様々なものとも別れながら、時が過ぎてきました。
住む家、6回変わりました。
これは、多いよね。劇移動、だね。
田園都市を離れて、田園都市に通う日々もありました。
いっしょに暮らす人、暮らし方もいろいろありました。
どれも、いろんな妙味があったような気がします。
今後も、まだいろいろあるかな?
ワカリマセン。
職場も3回変わりました。
これも予定外もあったりして、何とも言えません。
練馬での勤務は半年でした。
いろいろ経験できたのは良かったと思っていますが、
半年だけ在籍された方は迷惑だったかもしれません。
その後、どうしているのか、気になる人たちもいます。
耕す地面(田畑)も、、、
変わりましたね。いろいろと、、、
ここでも、惜別もあったけど、
右往左往しながらも、
いつも耕す場所を求め、それは、ありました。
そして、今、
自分の畑といえる場が身近にあります。
ありがたいことです。
時間があれば、その畑にいます。
野菜に束縛されていることが、ウレシイのです。
駄文を書き続けています。
締め切りを守って続けていることだけは、誇れます。
内容については、
野球の打率になぞらえて、
2割5分、
4回のうち3回はアウトでも、それでもいいと、
開き直っています。
いや、2割かな、、、
自分の書いたものを読み返すことは、
「恥の多い」もので、
あまり、しません。
ですが、あえて、読み返してみると、
「昔の方がまだマシなもの書いているかも」
なんて、思えてしまうことが多々あります。
大江さんには、
「ここから目次をおこしてもう一冊」と、
言ってもらえていたような、、、
しかし、『耕して育つ』(2005)以上のものは、
今の石田には無理で、、、
「一発屋」か?
それもよし。
この間に書いたものには、
消してしまいたいような文章もありますが、
逆に、再度ピックアップしてみたいテーマも、
あったりします。
読み返していない、と、言っておきながら、、、
「老いてきた」というには、まだ、早いのかもしれませんが、
衰えてきたのはマチガイありません。
(16年前は老眼鏡は不要でした。)
それでも、
日々、育つものをアシストして、
土に触れ、緑を眺め、空を気にして、
子どものころからのこの地での田園都市生活。
これからも、何かしら伝えられたら、と、思っています。
よろしくお願いいたします。
(意識しないように、と、へんな意地もあったけど、、、の、200回目:石田周一)