第169回 青葉台1967 その2 田んぼを耕す

2022.9.30
いしだのおじさんの田園都市生活

小学生のころ、たびたび友達や家族と自転車や歩きででかけた。
1960年代後半だね。
でかけた、って言っても近所だよ。
せいぜい半径3㎞くらい。
そのころの青葉台は、まだ住宅も少なく、スカスカした町で、
畑、造成地、学校予定地など、空が広かったなぁ。
雑木林や谷戸もあちこちにあった。
そういう場所を先が見えなくても、入っていくと尾根に出たり小川があったり、
鬱蒼としたところもあったりして、
なんだかワクワクドキドキなんだよね。

あるとき雑木林のちょっとした空間に牛がつながれているのを見たときはビックリしたな。
黒い大きなお尻からうんこがボトボトって落ちたんで、またビックリ。
母や父と顔を見合わせた記憶がある。
その向こうには農家の屋敷があったようだったけど、ね。
(その場所はぼんやりと憶えていて、その後に偶然のご縁が、、、)
自分も田んぼをやるようになってから、別の地域でだけど、
「昔、黒牛を飼っていてね。あれはよく働いてくれた。朝鮮牛って言ったな」
って、農家のお父さん(昭和ひとケタ世代)から、聞いたこともあった。

耕耘機というものが普及し始めたのは、それこそ1960年代のこと、
1955年には約8万台、が、1967年には300万台以上という資料がある。
それでも、1960年の農家人口は3000万人というから10人に1台程度。
「耕耘機のある家には嫁が来る」と、言われたりしたそうだし、
昭和ひとケタのおじさんが農家を継いだのは1950年代だろうから、
60年ころは、この辺りでも牛耕や馬耕で頑張っていたんじゃないかな?
60年代の終わりごろに牛を飼っている農家をおじさんが見たのはその名残だよね、きっと。
造成地での荷物の運搬なんかでも牛は活躍していたらしいよ。
「牛耕」、見てみたかったなぁ、、、

耕耘機の次はトラクターだよね。
トラクターは66年にクボタが初めて水田用を開発したというくらいで、
普及は70年代以降じゃないかな。
1970年っていうのは、大阪万博があった年だよ。
70年代にはバインダーという結束もする稲刈り機ができて、
田んぼもそれなりに機械化されていった時代だね。
稲刈り体験で手作業をしているみなさんが、バインダーを見て「すごい」なんて、
最近もよくあるシーンだよ。
どんどん刈って結んでくれるからね。
今年、我が幸陽園農耕班の新治の田んぼでは小学生にバインダーを使ってもらった。
でも、もう、時代はコンバイン。

バインダーがコンバインに替わっていくのはおじさんも実際を見ていたけど、
横浜では1990年代かなぁ。
地方のほうが早くて1980年代だったんじゃないかな。
コンバインは稲刈りをして同時に脱穀もするんで、一人でも作業ができるんだ。
ワラをカットして排出すれば、ワラの処理も同時だし、、、
先日もお世話になっているご近所の農家さんのコンバイン作業を見ていたんだけど、
14aの田んぼを1時間足らずで、バリバリ刈っていたね。
そのまま乾燥機に運び入れ、翌日には籾摺り精米もして、炊いてお茶碗に盛れるんだよね。
バインダーで刈った稲の束は、2週間くらい掛け干ししてから脱穀。
以前は、天日干しの方が美味い、と言っていたが、、、
最近は天候不順でうまく干せなかったり、乾燥機が高性能化して、単純にそうも言えない。

水田10aあたりの労働時間という資料があるんだけど、
機械が導入される前、1960年ころは57.4時間かかったんだけど、
今、60年たって、最新式の機械を揃えて作業すれば、わずか3.01時間と言われていて、
実に19分の1にまで効率化できているそうだ。
そういう場合、田んぼは広ければ広いほど仕事が速く進むんだよね。
機械がターンする回数が少ないほどいいわけ。
横浜は農地が狭いから機械の大型化や効率化にも限界もあるだろうけど、、、
端的に言えば、コンバインが使われる前は田んぼに人がいたんだよね。
バインダーがあっても、家族で協力することで成り立っていたんだよね。
刈って束ねた稲を竹やスチールの竿にかけて干すのは、一人じゃ1日かかっちゃう。
だから、家族とか親せきとか仲間とかいっしょに作業する。
手伝わされる子どもはときに不満もあったかもしれないけど、家族みんなで収穫作業。
なんか、いいと思いませんか?
実は効率化はそんな時間と関係性を奪ったとも言えるんだよね。

以前は人間が牛の力を借りながら田んぼを耕していた。
人間も肉体をしなやかに使って田んぼで働き、共に働く牛をかわいがっていた。
古い農家では家の中に牛小屋があるのも当たり前。
いっしょに暮らしていた。
それが、耕耘機に代わって、トラクターになり、
今ではエアコンの効いたキャビン付きのトラクターでYouTubeとか見ながら、、、
何が大変かって、睡魔との闘いだ、って聞くよ。
さらに、これからの時代、大きな産地では無人化が進むだろうね。
GPSなどと連動した自動運転のトラクターやコンバイン。
もちろん、労働時間の短縮は良いことなのだけれど、、、
けれど、、、

米作りは、それを仕事として取り組む農家や事業体にとっては、効率化すべきものだ。
大型機械や自動化、AI技術も大切だろう。
しかし、もっと小さな単位で楽しみながら自給を目指すあり方もあっていい。
そんな思いで活動していたのが、「な~に谷っ戸ん田」だった。
横浜などでは体験というレベルでかかわる人たちも大勢いる。
1反の田んぼに300人もが集まり、お祭りのように田植えや稲刈りをするグループも。
大型機械や自動運転レベルから手作業レベルまでいろんなやり方があるんだね。
それが、田んぼの豊かさなのかもしれないね。

おじさんは、1970年代レベルの小さな機械を使いながら自給を目指したい派なんだ。
おじさんにとっては、田んぼの作業は「労働」でありながら、楽しむもの。
今、小さな畑を楽しんで、そこそこの自給をしている。
けれど、田んぼは、小さなレベルでもどうしても機械も必要。
年に一度しか使わない機械も多く、それは気軽にレンタルできると助かる。
都市生活者がそんなことができる方法があればなぁ(あるはずだ)、と思っている。
そんな「水田保全支援センター」(仮称)があればいいなと、妄想している。
田んぼを守るから「田守クラブ」だ!なんてね。

(妄想の石田周一)