水の流れは絶えずして

第三十七話 大阪城

2017.1.1
水の流れは絶えずして

昨年の年末に、大阪城を訪れる機会がありました。

今年は大河ドラマでも話題となりましたが、あまり興味も無くテレビの中の話のように見ていましたが、先月ブラタモリで、真田丸や大阪城が淀川と台地の地形を絶妙に利用して作られているという話を聞いて、ちょっと見たくなり訪れてみました。

実は、大阪を訪れたのはこれで数回目、大阪城もお堀の内側まで入ったのは、実は初めてでした。

大阪平野と関東平野はその成り立ちに似ているところが多いということは、30年以上も前の学生時代の習った記憶がありますが、大阪をほとんど訪れたことのない私にとっては、新たに調べる楽しさもありました。
大阪城は中位段丘層に相当する上町台地の突端に位置します。

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大阪平野の地形概要(市原実 大阪層群と大阪平野、URBAN KUBOTA NO.11,1975)

この上町台地は、今よりも海水面が4m程度高かったとされる縄文海進の時代には、河内湾と瀬戸内海に挟まる半島状の砂嘴だったと考えられています。

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上町台地を作る砂洲状の地形の北の端に作られた大阪城(右)と拡大図(左)
(カシミールで加工)

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参考までに江戸城の位置と拡大図。江戸城は武蔵野台地の端に位置する。

このため、三方を低地で囲まれた立地は、台地にお堀りを掘ることで敵の攻撃から守りやすかったのだと思います。豊臣秀吉が築城した大阪城は、大阪夏の陣ののち、徳川に堀を埋め立てさせられ、その後、徳川がすべてを一度埋め立てて新たに大阪城を築城したといわれています。

大阪城を訪れたとき堀の南側が空堀となっているのが目に映りました。最初は単なる渇水かなと思ったのですが、真田丸で空堀での攻防の話を思い出し、資料を探したのですが、空堀となっている理由は定かではないと書いた物はありましたが,明確な理由は見つけることが出来ていません。あくまでも想像ですが、空堀となっている場所は,台地を削って堀を作った場所と思われたので、敵を向か打つためにあえて空堀にしたのではないかと想いました。

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大阪城              豊臣期の大阪城を盛り土して徳川幕府は築城した

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大阪城のお堀、南部は空堀となっている

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空堀の様子             場内には井戸がある