水の流れは絶えずして

第二十七話 低地の生い立ち

2015.12.1
水の流れは絶えずして

ここ2回ほど、低地の話をしてきましたが、肝心のどのようにして今の低地ができたか、その生い立ちについてお話しするのを忘れていました。
低地の生い立ちを理解すると、なぜ横浜の谷戸が平坦なのかも同時に理解できるかもしれません。

横浜に限らず、海岸線の低地と低地を流れる河川の関係が最終的にできたのは、今から約6000年前のことです。
このシリーズの第二話、第三話の「台地の生い立ち」で、今の横浜の地形の形成は、過去の気候変動とそれに伴う海水面の変化が大きく関係していること、いまから14万年前頃の下末吉海進に海水面が今より40mぐらい高く、それによって東京湾に面する平坦な台地(下末吉台地)が、形成されたことをお話しました(図-1)。
その後の歴史ですが、横浜に限らず、今から約6000年前の縄文海進によって海岸線の低地の形成が完了したと考えられています。
下末吉海進以降、海水面は徐々に低下しながら、川の流れは台地を刻んでいきました。
約7万年前から1万年前まで続いた最終氷期(ウルム氷期)では、約2万年前に100mほど海水面が今より低下したと考えられており、東京湾は「古東京川」と呼ばれる河川となっていました。(図-2)

地形形成

図-1(左)下末吉海進期の状況
図-2(右)最終氷期の状況
(貝塚爽平:東京湾の地形・地質と水、築地書館、1993.より引用)

この際、今の低地部も河川の浸食で深く刻み込まれました。その後、徐々に海水面が上昇し、今から約6000年前には今より4m程度高くまで海水面が上昇し、内陸深くまで海が入り込みました。この海が内陸まで入り込んだ証拠として、貝塚が一定の標高に分布が見られます(図-3)。

縄文時代

図-3 ワークテキスト1「+2℃nの世界 縄文時代にみる地球温暖化」(神奈川県立生命の星・地球博物館 2004)より引用

 

2万年前から6千年前まで続いた海水面の上昇によって、最終氷期の時に削られた谷は、沖積層と呼ばれる堆積物で谷は埋め立てられ、現在の低地が形成されました。
この沖積層は、堆積してから間もないことから、水分を多く含み、しっかりと固まっていないため、建物などの構造物を支える力が弱く「軟弱地盤」とも呼ばれています。
縄文海進によって形成された低地は、海水面が今の高さまで(約4m)低下したことにより、低地を浸食して、低地より若干低いところを流れています。

地形が形成された過程を図-4に描いてみましたので、ご参考にしてください。

 

プリント

図-4 低地の形成の過程
縄文海進で今よりも海水面が高くなったことで、低地や谷戸の底が平らな地形をしています。