第18回 人間も淘汰される?
2010.2.26いしだのおじさんの田園都市生活
自閉症の子どもの父親には工学系のインテリの比率が高い。
シリコンバレーでは自閉症の有病率が高い。
移民の多い国の調査では、ヨーロッパからの移民にはアスペルガー症候群が見られたが、アフリカからの移民のなかにはそれは見られなかった。
現代にアスペルがー的な人が増えているとすると、それは、アスペルガー的な遺伝子を持った人が子孫を残しやすくなっているということであり、言い換えれば、今日の社会が、アスペルガー的な人が繁栄しやすい環境になっているということかもしれない。
以上は、岡田尊史『アスペルガー症候群』(幻冬社新書)からの引用。
アスペルガー症候群という用語を聞いたことのない方もいるかもしれない。
この本のB面には以下のようにある。
「こだわりが強く、対人関係が不器用なアスペルガー症候群。他人の気持ちや常識を理解しにくいため、突然失礼なことを言って、相手を面食らわせることも多い・・・」
知的障害のない自閉症と理解している方も多いが、当たらずとも遠からず、だろう。
この本の帯のキャッチは、
「学校や職場にいる”アス君”。「問題児」「KY」扱いしていませんか?」
いわゆる「KY」などといわれる人のなかにこの診断を受ける可能性のある人がいたりする。
はっきりと障害があるわけでないので、診断が困難な場合も多い。
だが、マイナス面だけでもない。
エジソン、アインシュタインなどもそうであったともいわれる。
現代では、ビルゲイツやスティーヴ・ジョブスも。
ちょっと浮世離れした天才肌の人であったりもするわけだ。
天才とまでいわずとも、不器用だが特定の分野でいい仕事をする方も多い。
だが、「問題児」「KY」「変人」扱いされ、人間関係のもつれが生じることも多い。
まわりの無理解で、スムーズな暮らしやいい仕事ができる機会が奪われる場合もある。
そして、大きな問題や事件になってしまうことも・・・
「こだわりが強い」とは、どういうことをいうのか?
同一性保持ともいわれる用語であり、自閉症の特質のひとつをあらわすものだ。
「こだわりの味」などという肯定的な意味とはちがう。
例えば、私の知っているTくんは、バスでは左側の一番前に座ると決めている。
そこに誰かが座っていると「僕の席なのでどいてください」という。
それはヘンだとわかっていてさすがにそこまではしないが、
その席が空いているバスにしか乗れないという人もいたりする。
ニキ・リンコさんはこのような「こだわり」を「俺ルール」とか「スーパー律儀」と名づけている。
わかりやすい、かも・・・
かくいう私も幼稚園児のころ、
本棚の本が常に法則どおりに並んでいないとアタフタして、
なんとか同一性を保とうとこだわっていたことがあり心配したと両親に聞いている。
そのことのみに関心が集中してしまい、周囲のことばも聞けず、
本棚ばかりを見つめ、横から別のことを言われると混乱したり癇癪をおこす、
と、までなっていくと問題だが、
そのうちに他のことにも興味や理解が進み、いつしか執着がなくなればよいわけで、
その程度の「こだわり」は多くの人にあるのではないか。
さて、このへんでちょっとは専門性のある障害福祉の仕事人石田から、
いしだのおじさんへ切り替えます。
私がひっかかったのは、次の部分だ。
「現代にアスペルがー的な人が増えているとすると、それは、アスペルガー的な遺伝子を持った人が子孫を残しやすくなっているということであり、言い換えれば、今日の社会が、アスペルガー的な人が繁栄しやすい環境になっているということかもしれない。」
ん、つまり、人間も淘汰されるということか?
私は、生物学の遺伝についてちゃんと理解していないので、
おかしな解釈になるかもしれないが、お許しいただきたい。
し、ご指摘ご叱責をいただきたい。
また、単純にアスペルガー的なものをネガティヴにとらえ、
排除すればいいとはサラサラ思っていないし、
(福祉の仕事は原因の追究ではなく現状への対応)
そこは、誤解しないでいただきたい。
50年前、シリコンバレーもなければパソコンもなかった。
100年前には、工学系の仕事はほとんどなく、
日本は百姓、アメリカはカウボーイ?
建物の中で座って働いている人より、外で体を動かしている人が圧倒的、
だったはずだ。
計算が巧みな人より腕力や体力のある人が重宝されただろう。
それが現代では逆転し、肉体より頭脳という社会になってきている。
「学力偏重社会」などと言いますよね。
(中略)
野に出よう、汗を流そう。
〇〇を増やし残すことも大切、と思う。
(いしだのおじさん)