神奈川・緑の劇場 vol.26

2023.8.31
神奈川・緑の劇場

100年目の夏。78年目の夏。

=「戦争体験」を語り継ぐ。=

20代の新聞記者が、戦争中に子どもだった人に取材して心を痛め、痛苦の体験を語り継がねば、と決意する。もちろん二度と繰り返すことがないように、との思いからだとは疑いが無い。

関東大震災から100年。いつか必ず襲ってくる災害に備える意識を例年にも増して
メディアは呼びかける。

気候危機も、現実のものとなり、災害から〝命を守る対策〟が、人々に求められる。

一方で、迫り来る戦争の足音。

だが、天災と異なるのは、
戦争体験を伝えるだけでは、戦争を止めることはできない。

戦争は、人間が始める。始めないようにできるのは人間なのに、戦争体験が、戦争準備に利用される。

悲惨な体験を二度としないために、抑止力が必要だ、大軍拡、軍備増強、敵基地攻撃能力の保有、核シェルターの設置が叫ばれ、改憲だ、9条はいらないと言い始める。

敗戦で宮城(きゅうじょう)前広場(皇居前広場)になぜ国民は、ひれ伏したのか?

私たちは『天皇陛下の国』を守れなかった、申し訳けない、自分たちの責任で敗れたと、天皇にお詫びしたのだ。天皇のために戦地に赴いた兵隊さん、特攻作戦に向かって下さった兵隊さんたちの銃後を守れなかったのだから、空襲で死のうが原爆に焼かれようが、家族や友人を失おうが当然なのであって、国民は死んでお詫びしなければならない、と人々を信じ込ませようとした連中は、そこにはいない。

今、ウクライナもロシアもどちらが悪いと言い合っているうちにも、犠牲者は増え続ける。

蚊が媒介した病気て亡くなる人が世界で年間75万人。人間に殺される人間が50万人(日本農業新聞一面コラム)

戦争は絶対にやってはならない。

戦争が始まってから命をかけるのか、戦争を止めるために命をかけるのか、ジャーナリストはペンに命をかけなければならない。

戦争をしたくてならない連中は、戦争体験を語り継ごうとする若者たちを見て、『やらせておけばいい。』と薄笑いを浮かべていることだろう。

(2023年8月31日記三好豊)