第178回 欅

2023.6.30
いしだのおじさんの田園都市生活

その欅は尺1寸(約33㎝)角。
家の中心にまっすぐ約6メートル。
玄関を入ると、すぐに目につく。

節が無い。
美しい。

どこで育ったのだろうか。
200年以上の歳月を生きたか。
伐られてからも乾燥と加工に長い時間と巧みな技をかけたはずだ。

家の中心にあって建物を支えている。
これが垂直にどっしりとしていることで、家の作りが正確に頑丈になっている。
大黒柱である。

ここでお金の話をすると、ナンではあるが、
1本で300万円くらいすると推測される。
これ以外にも1尺以上の欅の柱が数本。
他の柱も7寸角など多数。

柱以外にも、梁の赤松の曲がり材も径が尺を越え長さもある。
やはり玄関の真上にあり、「現し」となっている。
曲がり材ゆえ、現場での設置には図面には書けない技術を要する。

建具には、屋久杉の一枚板や北山杉なども使われている。
屋根は格天井、障子は地獄〆、欄間も見事。

また、つくりでは、釘を使わない「継ぎ手」や「仕口」などの技が使われている。
最高の材料に対し、最高の技術が使われている。

贅を尽くしている。
下世話を承知で言えば、「お金はあるところにはあるんだな。羨ましい」となるか。

しかし、この家を建てたOM氏は、どういう思いを持っていたのだろう。
「100年住み続けられる家を」とおっしゃっていたと聞く。

O家は、300年前くらいからこの地で代々暮らしてきた。
代々名主を務め、明治期には県会議員も。
集落の中心であり、大尽と言われた。
そこには、積み重ねたものの重みがあったのだろう。

この家が建てられた30年ほど前をさらに遡ること60年、70年前。
OM氏の祖父は所有する100ヘクタールを超えるヤマで木を育てていた。
60年ほど前までは、材として出荷もしていたとOM氏から聞いたことがある。
昭和初期から戦後の木材需要の高まりに対応していたのだろうか。

しかし、やがて、林業は下火になってしまったようだ。
輸入木材や新しい建築工法などの要因もあっただろう。
それでも、
いつかその育てた木で子や孫が家を建てることも考えていたのかもしれない。
だから、
ヤマの向こうに宅地造成などの開発が及んでも、ヤマを守り続けたのだろう。
その結果として、緑豊かな横浜の「北の森」が残された。

OM氏もそのヤマを大切にしていた。
「里山」という比較的新しいワードが使われるようになった30数年ほど前。
そのヤマに心を寄せる市民たちと付き合うようになる。
新しい方法でヤマを活用しシェアすることでヤマを守りたいと考えていたという。
私も、その末席をわずかだが汚していた。

そのような状況で、数百年続いてきたヤマに建つ家を建て替える。
そのとき、これから先の100年に想いを寄せる。
そして100年先もそこにある家にしようと考える。
それは、むしろ、OM氏にとっては当たり前のことだったのかもしれない。

そして、100年以上の歳月で育った材、数百年の昔から受け継がれてきた技術。
これらを使うことで、木を育てる林業、木を使う大工仕事の技術が活きる。
昔ながらの農家の佇まいとそれを作る技。
これらは、使って活きることが無ければ、現代の技術に席巻されてしまうだろう。
それは、里山で受け継がれてきたものとちょうど似ている。
そう考えると、OM氏がこのように家を建てたことは、守りたいものの現れなのだろうか。
里山、森、暮らし、木を育て使うことの象徴としての家。
単に「お金のある人の贅沢」と解釈するのは浅薄すぎる。
この家が建てられたときの施主の思い、仕事をした人たちの思い。
この家がここにあることの意味を考えながらこの家を守らねばならない。

(まだわかっていないことが多い、2年生の石田周一)