神奈川・緑の劇場 vol.23

2023.5.28
神奈川・緑の劇場

有機農業による地域自給圏を全国に!

有機自給国家こそ、私たちが目指す子どもたちの未来です。そのためには、学校給食で有機農産物を使うことが突破口になるでしょう。(鈴木宜弘東京大学大学院教授)

全国の小規模家族農業、漁業や、神奈川とその周辺エリアのような気候風土に恵まれ豊かな食糧生産を可能にしている生産者を、みんなで食べて支え、応援していくことこそ、自分たちの命と健康を守ることにつながります。

有機農業は目的ではない。有機農業を通してさらに目指す先がある。

1970年代初めに、日本の有機農業がスタートしたとされています。戦後のアメリカによる占領政策は、日本人の暮らしの隅々にまで及びました。農業では、単一作物の専作化と大規模化に加え、化学肥料と農薬の多用でした。

アメリカは、農協にそのような農法を生産者に対して指導させました。その結果、疲弊した土壌になり、作物は劣化していったのです。  異常に気が付いた生産者たちが、農薬や化学肥料に頼らない農法を模索し始めたのです。

しかし、ごく一部の研究者や例外的な農協はあったものの、農協や公的機関は「有機農業」には大変に冷淡でした。生産者たちは、どこからも支援を受けることなく、自分たちで学び、実践を重ねるしかありませんでした。

「有機農業」を実現することはどれほど困難を伴い、犠牲をはらったことでしょう。彼らを支え、ともに生きてきた市民たちの力も重要でした。

特別な「有機農業」から、あたりまえの「有機農業」へ!

50年を経て、「有機農業」は、さらに進化し、「自然農法」を試みる時代になりました。 農協(JA)や、公的機関の研究、支援も始まっています。そして、これから就農する若い人たちには、有機・自然農業は目的ではなく、さらに先を目指すための手段になっていると思えるのです。

それは、脱原発であったり、脱石炭火力発電、地球温暖化防止でもあります。ジェンダー平等を社会に現わす実践の場でもあります。同じ目的に向かう多様な市民のネットワークを構成する一員としての農業生産者です。

「食べもの」を真ん中に、生産者と消費者という隔てを無くして、ともに社会を作る時代に進むならば、子どもたちの未来は明るいと思えます。

横浜市の18区で一番緑が少ないという南区で、「自然農法」を学び始めた仲間がいます。

子ども食堂や、小学校の放課後キッズクラブの仲間たちは、自分たちが使うジャガイモ、サトイモ、サツマイモを学校の片隅で作りはじめました。楽しくワクワクする出来事です。

(2023年5月25日記 三好 豊)

・京都で振り売り(伝統的な農産物の移動販売)をする角谷香織さん→★★
・日本の農産物流通に3つの提案 神奈川野菜を届けて36年 三好 豊→■■

三好 豊(みよしゆたか)

“50年未来づくりプロジェクト”を提唱します。
“もりびと”が木を植えて育てるように、子どもたちが社会の真ん中で活躍する時代のために、今日できることを一つずつ。老いも若きも一緒になって50年のちの日本の景色を想い描きたい。
1954年に生まれ父親の転勤により各地で育ちました。 1975年10月、杉並区阿佐ヶ谷南の劇団展望に入団。1982年退団して横浜に戻り演劇活動に参加してきました。1987年5月、(有)神奈川農畜産物供給センターに入職し、県内各地、各部門の生産者に指導を受けることができました。2004年に退職し「神奈川・緑の劇場」と称して県内生産者限定の野菜の移動販売を始めました。NPO法人よこはま里山研究所・NORAの支援はたいへんに大きく、これからも都市の暮らしに里山を活かす活動の一環として生産者との関わりを大切にしたいと考えています。また(株)ファボリとその仲間たちとの繋がりには、心躍るものが生まれています。