石田のおじさんの田園都市生活

第5回 手作りルネッサンス

2009.2.1
いしだのおじさんの田園都市生活

 味噌の仕込みの季節がやってきた。

私が初めて味噌の仕込みを経験したのは、96年の春だった。
桜の咲くころ、やぼ耕作団の明峰さん宅の庭兼畑でのことだった。
本来は寒仕込みがよいのだろうが、ゆっくり春の野良で楽しんた。

明峰哲夫惇子夫妻とやぼ耕作団については・・・
またいずれ詳しく書く、かも・・・
著書多数ですので、よければお調べください。
『僕たちはなぜ街で耕すか』が特にオススメですが、今は絶版。

そのときの私は味噌作りのなんたるかを全く知らなかった。
大豆や糀、ましてその作り手に思いをはせたことなどなかった。
食生活は洋食系、ごはんよりパンやパスタだった。
今はご飯中心、パンはほとんど食べない。
味噌そのものを美味しいと思って食べた記憶もなかった。
ハナマルキや信州一のCMを見て、「ドン臭い」と思っていた。
今、朝はいつもグリーンの手前味噌の味噌汁だ。

やぼの作業は、畑にかまどをしつらえて豆を炊き、
それを臼に杵でつぶすものだった。
大勢がかまどと臼を囲み、酒を酌み交わし祭りのようだった。
(明峰哲夫惇子『自給自足12ヶ月』(創森社)にも書かれている)
畑の菜花や、野草のてんぷらなどが、つまみだった。
野良の楽しみや、食の自給への思いがあふれる場だった。
私のなんでも「やってみたい」精神に火がついた。

翌年、明峰惇子さんに講師となってもらい、
グリーンで初の仕込みをした。
しかし、そのときの私がまた情けない。
豆の炊き方を分かっていなかったのだ。
講師が到着した時点で、豆はまだまだ固く、
「日が暮れちゃうよ」って感じ。
急遽あちこちから圧力鍋を借りまくり、
なんとかその日のうちに仕込みを終えた。

惇子さんの手記(抜粋)
「味噌を仕込むという文化が、完全に人々の体、
くらしの場から断ち切られていて、
それを曲りなりにも再興するという劇的場面に立ち会ったという実感が、
とてもしました。この経験は、今後の糧になるはずですね。」

おかげさまで、今のグリーンでは、味噌の仕込みが定着している。
シーズンに300kg以上の仕込みは、くらしに定着した生産活動だ。
今は数人で1日30kgという仕込みを何度も繰り返している。
鍋などを新調し、1日の仕込みをその3倍くらいにしたいとも考えている。
糀を作る機械も買ってあるので、豆も糀もグリーン産にもしたい。

グリーンが味噌を仕込み始めた10年程前、
主に市内近隣に残る2軒の糀屋さんの糀を使っていた。
しかし、最近ではそこから手に入れることが難しくなっている。
と、書くと、糀の生産や販売が減って糀屋さんも衰退か?
と、思われるかもしれないが、実は逆だ。
お客さんが年々増え、さばき切れないのだ。

そのうちの一軒は83年に一度廃業し、98年に15年ぶりに再開した店だ。
廃業後に何代目かの跡取りが脱サラしてお店を再興した。
出張味噌作り教室とホームページ、ネット販売で話題になり、
今では注文に生産が追いつかないようだ。
ご当主の努力と時代がマッチしたのだろう。
まさにルネッサンス。
グリーンはその先駆けだった?

2年目の~に谷っ戸ん田でも味噌の仕込みを計画中だ。
私は味噌作りのベテランとして指導に当たる予定。
いつのまにか化けたわけだ。

盛夏まではよく繁っていた白大豆が結局実が入らず不作だった。
近隣のベテラン農家も同様だった。
ゲリラ豪雨の影響か?
が、黒大豆はそこそこ収穫できたので、黒大豆の味噌となりそうだ。
皮を取り除く方法もあるようだが、皮のポリフェノールもいいと思う。

今は沢庵漬けが倉庫で眠っている。
コンニャク作りもおこなう予定。
もちろん、大根もコンニャク芋もな~に谷っ戸ん田で育てたものだ。
田んぼから畑に、そして加工へと、どんどん楽しみが増えている。
グリーン ホームページ http://home.catv.ne.jp/dd/green/
な~に谷っ戸ん田    http://www.yattonda.com/

(石田周一)

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