第167回 さくらんぼスピリッツ

2022.7.31
いしだのおじさんの田園都市生活

辻先生が残してくれたものを私なりに考えて「さくらんぼスピリッツ」と名付けて、
三つほど、私の経験に基づいて話してみます。

辻先生に初めて会ったのは、50年以上前だったのではないかと思います。
私、子どもでした。
辻先生も30代だった!のです。
さくらんぼ会ができるより前かもしれません。
母と辻先生がいっしょに活動していたのです。
ちなみに、西田先生がさくらんぼにかかわるようになったのは、
西田先生の長女と私が同級生だったからで、これは、私が中学3年生のときです。
「周ちゃん」と呼ばれていたような記憶があります。
「青葉台子どもを守る会」というものがありました。
そのころ、母や辻先生たちは、
地域に足りないものは自分たちで、仲間たちで、「創る」と考えていたようです。
乳幼児健診、保育園、学童保育、図書館、県立高校など、など、そして、さくらんぼ会。
子どもたちに必要なものは、自分たちでなんとかしようと行動する。
その過程で仲間づくりや地域づくりもしていたのだと思います。
それが、さくらんぼスピリッツ。
そんなふうに思います。
資金も自分たちでなんとかしようと、よくバザーをしていました。
団地の我が家の光景として、献品されたバザーの品物であふれていたことを思い出します。
今は時代も進んで、いろんな制度も整備されてきましたが、
そうなると益々何かが足りないような気にもなります。
さくらんぼスピリッツをまた考えてみたいです。

そして、学生時代にさくらんぼ会とあらためて出会って、ボランティアをし、
私は大学を卒業して教員をしたりしながらもさくらんぼボランティアを続け、
そして、念願かなって、さくらんぼ会の職員になりました。
25歳から30歳までさくらんぼ会職員をしてからグリーンの職員となります。
そのころ、さくらんぼ会のような訓練会には職員はいませんでした。
まぁ、今も、、、状況は変わっていないようですが、、、
それでも、そのとき職員というものを作ってしまったのがさくらんぼスピリッツ。

いや、二つ目のスピリッツは、また、別のものです。

20代でボランティアや職員をした私。
20代ですよ。
20代の私は、実は、シティボーイ(の、つもり)でした。
それが、子どもたちとおばさん(失礼)に囲まれて過ごす、ってあまりないですよね。
ね。
午前のさくらんぼ幼児の訓練は、お遊戯から始まります。
はとぽっぽ体操、です。
これ、20代のお兄さん、やりますか?
おばさんたちに囲まれて、、、
私、最初は躊躇しまくりましたよ。
でもね、子どもたちことを考えて訓練に真剣になって、
子どもがしっかりと見て、真似が少しでも上手になってほしいと思うと、
もう、スゲー、マジにはとぽっぽを身体表現するんですよ。
恥ずかしいとかそんなこと考えなくなるんですよ。
これが、さくらんぼスピリッツ。
子どもたちと真剣に向き合うという、まぁ、当たり前なんですが、
その真剣さが訓練室に満ちているというか渦巻いているというか、
ちょっと引いて見るとコワいくらい、これが、二つ目のさくらんぼスピリッツですね。

そして、訓練室での訓練だけでなく、山登りをして、合宿をして、
山登りも親御さんとヘルパーさんが企画して、もう、丹沢や高尾などを歩き倒し、
富士山も登りました。
合宿も、相模湖、箱根、御殿場と出かけ、夜は車座で語り合い、、、
こころみ学園合宿もしました。
訓練室を飛び出して、引きこもらず、自然の中に自然体で出かけていく、
訓練じゃない山歩きがじつは訓練になっている。
内向きにならない。
これって、福祉系の団体で、意外と難しいこと。
そして、田んぼ。
私がみんなで田んぼをやりたいと言ったときに、辻先生は「それはいい」
と、すぐに賛成してくれました。
訓練・療育にも常にいろいろと課題もあって、
だから、「何で?田んぼ?」というか、反対意見もあったんです。
まぁ、もしかしたら、その通りで、そもそも素人が田んぼをやる時代じゃなかった。
でも、辻先生は「それはいいことだから、ぜひやりましょう。石田くん、頑張れ」と。
今から30年以上前のことです。
いまでこそ、「農福連携」とか「学校田んぼ」とか当たり前ですが、、、
こういう積極性というか、無謀さも、また、さくらんぼスピリッツだと思います。
訓練だけを訓練にしない。
田んぼの活動は、兄弟たちも含めて子どもたちに多くの豊かな経験となり、
仲間づくりや地域との関係性につながりました。
これがあったから今のグリーンがあるのだと思います。
訓練室の真剣な訓練もさくらんぼスピリッツですが、
その枠にとらわれず外に出ていくのも、また、さくらんぼスピリッツかもしれませんね。

私なりに考えたさくらんぼスピリッツを述べてみました。
みなさんには、また、それぞれに別のさくらんぼスピリッツがあるかもしれません。

さくらんぼスピリッツは辻先生がいなかったら、なかったかもしれません。
でも、辻先生が一人で創ってきたものでもないです。
そんな、さくらんぼスピリッツが今後も育っていくこと、
みんなで育てていくこと、今後も、私も、、、
と、思っていますので、よろしくお願いいたします。

と、いった感じでしゃべれたらヨカッタノニナ。
「辻滋子先生を偲ぶ会」
だけど、当日は、あまり気乗りがせずに、ま、登壇すればナントカナル、と、
少しナゲヤリな気分もあって、、、
あれは、あの気分は何だったのだろうか?
辻先生には、母に対してそうであったように、
尊敬し感謝する気持ちと、反発するような気持ちもあったと思う。
複雑な気持ちのまま登壇し、それでも大勢の前でソレナリニ話をした。
メモだけで、、、
ただ、上に書いた3項目のうちの最後の3つ目はしゃべり忘れた。
話した後から、もっとこんな風にしゃべれたら、って、よくあることだけど、
今回は文章にしてみた。

さくらんぼ会は、私の原点、の、一つ。

(また、はとぽっぽ体操、してみたい、立派なおじさん、石田周一)