第166回 ラブ アンド ピース イン ア パーク

2022.6.30
いしだのおじさんの田園都市生活

お昼前、ラベンダー畑に子どもたち、5人。
摘み取り体験イベントに、母たち2人と。
「50本だよ」「10本取ったら渡して」「あと10本を2回」と、母たちの声。
4、5歳の子どもには難しいのかもしれないが、それぞれにはさみを動かしている。
どんどん切っていく子もいれば、一本一本をゆっくり選んでいる子もいる。
「じょうずに切れたね」
「いい匂いだね」
平和だ。

その後、「石田さんもいっしょに写真を撮ろう!」と、いうことになった。
母子たちとは、畑で知り合い、付き合いが続いている。
公園は畑の隣、そして、この青空自主保育は広い森がフィールド。

お昼、外人さんの女性2人組。
カメラとモデルのようだ。
長屋門の前で、和服を取り出し、洋服の上から羽織り、ポーズ。
「ステキですね」「アリガトゴザイマス」
、、、
その後、2人は撮影に集中。
庭の五葉松の前に立ったり。
しゃべっているのは、英語でも、ドイツ語でも、フランス語でもなさそうだった。
ロシア語?でもないかな?
何語であっても、ずいぶん気崩した和服姿でも、やはり、平和だと思う。

午後、「この中、何が入っていると思う?」
と、コーヒー詰め合わせの紙箱をカウンターに載せて、丸い目。
お隣の小学校の3年生の男の子が下校途中に寄ってくれた。  
「おじさん、知っているよ。お蚕様でしょ」
「オカイコサマじゃないよ。カイコだよぉ」
「いや、昔は、オカイコサマ、って言ったんだよ」
「えーっ」
おじさんは、なぜ丁寧と尊敬なのか説明しようとして、いや、またにしよう、と、、、
「まぶし、10個、作ったんだよ。でも、繭、外に作っちゃった」
「スゴイね。次はきっと入るよ」
平和だ。

先日のこと、小学生の女の子2人が原っぱの隅の草むらで何かしている。
近くに行って声をかけて、見ると。
小さな虫かごを4つほど並べている。
中にはカナヘビが入れられている。
そして、少女は、草むらで小さなバッタを捕まえ、かごに入れる。
すると、カナヘビがパクリッ、パクパク。
おお、これは!
おじさんも50年以上前からカナヘビは見ているけど、このシーンは初めてだ。
と、おじさんはコーフンするが、少女たちはたんたんとまた草むらに向かう。
うん、これも、平和だ。

原っぱで、野球をしたり、走り回ったりする子たち。
木陰のベンチでおしゃべりを楽しむ母たち。
つどいの家の広いホールで勉強やおしゃべりをするのは女子が多いかな。
夕方は小学生だが、午前は健康体操をする高齢者のグループ。
森を歩いてきて、一休みするグループ。
緑の多いこの公園の様々なシーンに平和を感じる。
草木、青空、子どもたち、様々な人たち。
空間とそこにある風景が平和だ。
このごろ「平和」という文字が、おぼろげにかすんで見えるんだ、が、、、

30年以上障害者福祉を職業としてきたが、今年度から公園管理の仕事をしている。
前職の社会福祉法人で耕作している田畑と森をはさんで隣り合わせ、徒歩5分ほど。
週に1度は前職の現場に立ち、作物とも向き合いながら、後継者育成を主旨としている。
障害者福祉の現場では、常に想定内外のハプニングが起こる。
自他の心身の不具合や、社会矛盾にも遭遇する。
較べるのもなんだが、公園は平和に過ごせることが多い。
もちろん、平和を維持するには人々の地道な仕事がある。
また、公園も運営面では社会矛盾と無縁ではないようだが、、、

週に4日は公園に出勤し、週に1日福祉施設に出勤する日々のなかで、最近の妄想。
公園と福祉施設を合体させると良いのではないか。
お互いのイイとこ持ち寄って、共に過ごせたらいろいろと良いことがあるだろう。
公園にも福祉的要素があり、まずは人が穏やかに過ごせる場である。
子どもも高齢者も障害者もゴチャマゼで穏やかに過ごせたら。
障害者が清掃などで働いている公園も都内などには多くある。

福祉施設は、ときに閉じられた空間で、「公」ではアリエナイことが存在したりする。
そこから人権侵害が始まったりする。
私が週に1度出勤するK園にもそれはある。
私が何年も指摘してきているが、改善されず、むしろ悪化しているK問題とT問題。
いろいろ大きな課題もある中、些末なことと思われているようだ。
しかし、こういうところから人権侵害が始まるように、私には思えてならない。
これは、もしもK園が公園と合体したならその瞬間に解決するはずだ。
「公」を意識したときに、、、
福祉施設が閉じられないために、公園は有効な手段になると思う。

ラブアンドピース。
それが、私のライフワーク、と、思っている。
ジョンレノンのロックンロールに出会ったときから、、、
回り道を繰り返して、
時代遅れの、ちっぽけな者。

(石田周一)
絵本プロジェクト、とりかかります。