第165回 ノアガリヒマチ

2022.5.31
いしだのおじさんの田園都市生活

5月31日、朝6時、静かに雨が降っている。
毎月そうしているように、月がかわる前に、このコラムをアップする。
この1月ばかり、いろいろ、人生、激動だった。
そして、この1週間も、日々、いろいろあった。
しかし、田んぼが日々(life)と人生(life)の真ん中に、あった。

5月27日金曜日、朝5時、目が覚めたとき、雨の音が止んでおり、
「おお、予報外れ?」とニンマリしたのだが、
すぐに、降り出し、また強くなってきた。
昨日も、夜から強い雨が降った。

昨日26日木曜日は、若い衆をコーチしながら、田んぼの筋引きをした。
田んぼを歩くのがほぼ初めてという若い衆2人が、慣れない田んぼの泥に足を取られ、
「これ、キツイっすね」
「ああ、難しいな」
と、言いながらも、どこか楽しそうに代わる代わる作業してくれた。
なんとか、いい筋を、田んぼの7割近くに引くことができた。

そこで、その若い衆1人と田んぼ好きの利用者1人で植え付けも少ししてもらった。
自閉的傾向があるMくんが、独特のリズムで調子よく植え付けていた。
やっぱり、自閉には「尺角」だな、と、俺、ほくそ笑んだ。
いい感じに育った苗が田んぼに並んでいくさまはいいものだ。
田んぼのヘリで幼児と母2組が泥だんごを作って遊んでいたのも良かった。

28日土曜日朝、起床後にまずおこなうのがヨガ。
あちこちほぐさないと、いや、ほぐしてもあちこちコチコチだ。
さぁ、今日は、この身体、よく動いてくれるだろうか、、、
もう若くはない、けど、田んぼに入るとテンションが上がるんだよなぁ、、、

昨日の雨、土砂降り、だった。
「たどり着いたらいつも雨降り」(拓郎ではなくモップスのバージョン)がリフレイン。
昼前に止んだので、昼食後に職場から自転車で田んぼを見に行った。
3分で到着。
いい職場だなぁ。
予想通り、「ああここもヤッパリ」、筋は消えていた。
リセットされてしまった。
フリダシに戻る、だ。
ま、お天気には勝てない。

我々の田植えは、「筋引き尺角植え法」だ。
もっと言うならば「3列植え1列抜き、セルトレーポット苗、筋引き尺角疎植法」である。
田んぼに30㎝間隔の碁盤の目を引き、筋がクロスしたところに苗を植える。
縦に4列四角3個を一人分の作業エリアとして、前進しながら植えていくのだが、
3列を植え、4列目にはポット苗のトレーを置いて引きずっていく。
(わかるかな、この説明)
キレイに植わると、3列の苗の列と1列分の通路ができる。
植えない1列は、苗のセルトレーの置き場所と田んぼを歩くのに便利である。
4列につき1列の空白ができるが、順調に育てばその分苗は伸び伸び育ち、株分かれし、太り、
収穫のころにはどこが通路か分からなくなり、
本当に順調ならば、苗を25%少なく植えていても十分な収穫がある。

苗は、228穴のセルトレーに1粒ずつ籾を手で播く。
ここ数年、共同保育の親子といっしょに楽しんでいる。
今年は午後に、小学生のOBや姉兄たちも参加してくれた。
もしも一人でやったなら、地道というより、暗く果てしなく感じるだろう作業も、
大勢で楽しく進められた。
もちろん利用者、やっぱり自閉的傾向の人! 午前中から活躍した。
例年、まき終えたセルトレーを施設に持ち帰り施設横の畑で育てるのだが、
今年は田んぼの隣の畑にセットした。
ここでも異動で新規加入した職員が頑張ってくれた。

この田植え方法の利点はいくつかあるが、イチバンはマイペースの田植えができることだ。
何度かこのコラムにも書いているが、
よくやる初心者向けの田植えは、ひもに目印をつけて横並びという方法だが、
あれは、知的障害の仲間には難しい。
いわば、強制的集団行動であり、石田個人も好きになれないものだ。
田んぼに植える場所が描いてあれば、あとは個々に自分のペースで植えることができる。
そして、筋がきちんと引けていれば、規則正しく苗が並び、その後の除草などがやりやすい。

また、ポット苗はトレーから外せば、根が植えやすい弾丸のような形。
それに一本ずつが取りやすい。
これも、よくある手植えの田植え体験の普通の箱苗のマット状のものとは異なる。
マット状の苗は数本ずつをむしり取りながら植えなければならない。
これが、なかなか上手くいかないのだ。
その際に苗が弱ってしまうこともある。
通常の箱苗は2週間ほどの育苗による稚苗だが、我々の苗は50日近く育てた成苗。
4から6葉くらいまで分けつも進んでおり、良い物なら1本でもしっかり育っていく。
この違いも田植えの楽しさに差が出る、と、思っている。

さて、今は、29日、日曜日の朝。
昨日の打ち上げでも呑み過ぎてはいないので、スッキリ。
1日中田んぼを歩き回ったが、足腰にヘンな疲れが残っているわけでもない。
今日は出勤なので、田んぼを見に行くが、それが、ストレスではなく、楽しみだ。
ちょっと、ウレシイ朝だ。
Chojiくんの新譜「ノアガリヒマチ」をかける。

昨日の田植えは、楽しく、結果もジョウデキと言ってよいものだった。
朝の筋引きのやり直しから始まった一日だったが、また、若い衆が頑張ってくれた。
共同保育の親子と姉兄も含めて10組弱と幸陽園の利用者数名で作業。
いいペースで上手に植えたのは1年生と6年生の女子。
お父さんたちは、「楽しい、楽しい」と言いつつ堅実な仕事をしてくれた。
ちょっとおっちょこちょいな母たちも数名いて、「それ!チガウ!」と俺!
女性利用者Aさんが長靴を脱ぎすてて、初めて素足で泥田に入り、
危なっかしい足元ながら頑張ってくれたのも良かった(自閉じゃない。気持ちが前向き)。
3時ころにはキレイに苗が並んだ田に水を流し込み、畔を少し手直しして、片付け。
参加してくれた皆さんと笑顔で、野菜の収穫もできた。
とても活躍してくれた6年生の女の子はジャガイモ掘りも上手に楽しんでくれた。
2株で3㎏とそこそこの出来だったのも、またウレシイ。
その子の1年生の妹、「いしださぁん、ニンジンとって食べていい?」と、
「すーちゃんに言われたら断れないよね(来週に解禁しようと思っていたけど、、、)」
「いいよ、大きそうなの抜いてね」
すると、ニンジンを抜いて、田んぼの脇の用水に走り、洗い、かじった。
「甘いぃ~」と他の子たちも続く。
身土不二。

もう30年もこんなことをしているが、それでも、田植え準備では右往左往がある。
田植えは、実は始めるまでの準備がキモなのだ。

今年は、まず、3月末に、頑張っていた利用者Kがトラクターをつっとらせた。
(横浜では、「つっとる」は、「追突する」や「突き刺さる」の意味で使うようだが、
トラクターや耕耘機が「泥にハマってしまう」は「つっとる」だ、と思う。)
これを救出するのに、なんやかんやで1ヶ月かかった。
泥の中で角材やコンテナで足場を作り、何度も作り直しながら、ジャッキと格闘した。

荒起こしの途中でスタックしたトラクターが畑の作業にも影響し、いろいろが遅れた。
一度退治した田んぼの草も、またすくすく育ってしまった。
トラクターを新規加入の職員に教えながら慎重に草退治の荒代掻きをおこない、
角材引きを利用者たちが全身を泥だらけにしながら、ドウニカコウニカ田んぼを作った。

田植え本番こそを大きな仕事と誤解している人たちが多い。
いや、もちろん、苗を田んぼに植え付けることで秋の収穫があるのだから、
田植えは、欠くことのできない大事な大事な仕事だ。
キレイに植わるかどうかで、その後の作業や収穫にも大きく影響する。
だが、言うなれば、苗を田んぼに植える作業は最後の仕上げであって、
そこにいたるまでのプロセスこそが本当の「仕事」。
仕事とはプロセス。
米を作るのではなく、田を作るのだから。

荒起こし、荒代搔き、本代搔き、その間に、畔切り、くろ寄せ、くろつけ、田均し、
そして、筋引き、、、
苗代を作っている場合は、さらに、苗取り、苗配り、、、
そうして田植えだ。

仕上げの田植えが終われば、一区切り。
その後の草取りなどの仕事にそなえて、「農休み」。
それを「ノアガリヒマチ」と、Chojiくんの暮らす三重県津市美杉町竹原では言うそうだ。

「お金が無くとも米がある」とChojiくんが歌っている。
「おつかれさん、あんたえらかったなぁ。ノアガリヒマチやなぁ」と。
静かで地味な歌かもしれないが、農村に移住し定着した彼の今の到達点が表現されている。
そして、時代を反映している。
あるべき日本人の姿がそこにある。
オススメ、です。

(60歳と8ヶ月、なにをやっているんだ、石田周一)

Chojiくんのサイトをもう一度、https://choji.jp/
今年は、また、我が家でライブ、するからね。