第164回 60にして、益々、まどう

2022.4.30
いしだのおじさんの田園都市生活

夕方、タケノコを掘った。
顔の周辺にやぶ蚊がまとわりついてきた。
「五月蠅い」というか、四月の蚊。
タケノコもそろそろ終わりなのだろうが、
夕方の園内パトロールで5つほどを発見し、
報告すると、
「今日見たものは、今日のうちに」ということになった。
竹林管理。
適切な株間の維持と竹林外への侵出の防止のための駆除。
夕方の他の業務もあり、また、人員の都合で一人での作業となり、
短時間で4つを掘ったが、
周囲をよく見ると、4つほど残ってしまった。
今年は生り年だということで、毎日多くが出てくる。
竹林は園内の高い場所にあり、見晴らしがとても良い。
今は、下の広場に鯉幟がたくさんはためいていて壮観。

日中は、入園者に対応しつつ、もっぱら庭の草取り。
様々な樹木や草、そして芝生のある庭。
管理に手をかけているが草は多い。
ホタルブクロ、リュウノヒゲ、コケ類などを残しながら、
間に生えているドクダミ、スギナ、ネザサなどを抜いていく。
どれも根を完全に除去することは不可能だが、
可能な限り深いところから取るように心がける。
最初は手袋をして作業していたが、
素手の方が作業しやすく、手先に草と泥の感触を感じつつ進める。
作業が進み、残したホタルブクロが際立つときなど達成感があるが、
かけた時間の割には面積は稼げておらず、畑とは勝手が違うなと感じる。
長い時間同じ姿勢でしゃがんでいると、足腰が、、、つつつ、、、固まる。
ときどき立ち上がり、歩いたり腰や背を伸ばしたりほぐしたりする。
水分補給も、これからは特に大事だろう。
「(前日の担当者が用意してくれた)冷たい麦茶が美味しい季節ね」
と言う同僚先輩に、
「今後、益々美味しくなりますね」
と、応えると、
「もう、夏には、生きるか死ぬかのお茶ですよ」
と、言われた。

朝夕は建物の開館閉館の作業がある。
主屋、長屋門、釜屋、土蔵、納屋、そして公園としての通用門。
主屋には多くの雨戸がある。
1階に4枚、5枚、2枚、4枚、2枚、2階に4枚、4枚と、朝開け、夕方閉める。
その他の窓や出入り口も開け、空気を入れ替え、掃除をする。
消毒も細目におこなう。
平成6年に建てられたものだが、
屋根の形や土間を持つ間取りや釘を使わぬ工法などなど古来を意識しており、
まるで古民家のようだ。
長屋門は江戸時代に建てられた歴史的建造物。
釜屋は公園開園時の新築だが、土蔵は大正時代のものであったり、
それぞれ独特だ。
通用門と竹林の向こうには地元の中学生が大勢通る坂道がある。
朝夕には元気な声が聞こえる時間帯があるが、他の時間は人通りも疎ら。
周囲に鳥やカエルの声しか聞こえない時間が多い。
今は、ウグイス、コジュケイ、ガビチョウなどが賑やか。

60歳の定年退職を期にこの公園を管理するNPOでお世話になることになった。
公園は、この旧家のあるゾーン、管理棟と広場と集いの家のあるゾーンがある。
勤務は、旧家での業務の日と管理棟にいて事務や管理業務をおこなう日と、に分かれる。
先日は、管理棟の周囲で刈り払い機を回したし、机に向かって事務もしている。
毎週の会議や毎月の研修もある。
未だ不案内なことも多いが、もちろん来訪者への対応こそ大事な業務である。

旧家は江戸時代前半から続く地域のいわば豪農の暮らした家だ。
この家の周囲に農地と100haに及ぶ林地を所有していたそうだ。
戦後は昭和30年代まで林業により復興の木材需要に応えていたという。
実は、30年ほど前に、長屋門のオフィスに私より少し若いご当主を訪ねたことがあった。
この家の隣町が主な活動場所だったグリーンの仕事の相談に行ったのだろう。
田んぼの効率的な作業などについて話した記憶がある。
「協力しますよ。具体的な提案をください」と言われた記憶もおぼろにある。
また、彼は山の向こうの大きな通り沿いにいわゆるカフェバーを経営していた。
ワールドカップフランス大会での日本の試合を大騒ぎしながら観戦した記憶もある。
その彼の家が今は公園となって、今があることを不思議に思ったりする。

今後、タケノコ掘りや草取りや清掃だけでない仕事が始まるだろう。
実は、このNPOの評議員をもう10年近く続けてきている。
地域の小中学校の校長や町内会長と並んで会議に出席していた。
「ここで育った子どもたちがこの公園の仕事を発展させてくれたら嬉しいですね」
「しかし、(家族を養う)若者を雇用できる状況ではなく、そこをなんとかしたいですね」
そんな発言をしていた。
それは、私が関わり始めたころの福祉業界の無認可施設と同じ「願い」とも思える。
よーし!

(見習いの石田)

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