第161回 新治を歩く

2022.1.30
いしだのおじさんの田園都市生活

子どもたちと新治の森を歩いた。
ふだんから畑に遊びに来てくれる自主保育グループ母子たちと。
5歳くらいの子ども10人ほどとお母さんたちは5人くらいだったかな?
畑から水路沿いに少し遡り、森の中を歩き、梅田川の中州でお弁当タイム。
そして、川沿いからまた畑へというコース。
居残りのお母さんたちは、田んぼで焼き芋の火の番。
着火のときは、子どもたちも大豆のガラを投げ込んだりして火を楽しんで出発。

新治はその気になれば1日中でも歩けるほど広く、1日歩いても全部は歩けない。
私がこの地に馴染んだのは、近くに部屋を借りていた20代の後半。
30年以上前のこと。
今公園(2009年開園)があるところを含めて谷戸のほとんどがまだ田んぼだった。
それは、私が子どものころの青葉台の団地の裏山に似ていたのかもしれない。
森も、まだ市民の森(2000年開園)に指定されていなかった。
そのころの私はトライアスロンで心身の均衡を図っていた。
合い言葉は、「健康のためなら死んでもいい」。(佐渡の大会でフル完走は30年前)
で、毎日のように森の中をランニングしていた。
トレイルランニングという言葉もなかったころの話。

森と谷戸があり自然が多彩。
里山交流センターでは、「旬の里山探訪」というイベントを月に1回おこなっている。
主に植物や昆虫など自然観察をしながら歩くものだ。
園舎もない保育グループの子どもたちは週に数回の「森歩き」。
大人の自然観察とは違うが、五感をフル稼働させて楽しんでいるのだろう。

前からこの森歩きに参加したかった。
しかし、子どもたちが森を歩いている時間帯に私たちは畑仕事をしているわけで、、、
畑が子どもたちの歩くコースの一部になっていることはあったが、
じっくりと子どもたちに付き合って歩いたのはこれが初めてだった。
「イチダサーン」と手をつないでくる子どもたち。
左手に女の子Rちゃん、右手に男の子Hくん。
(家族には「おじいちゃんみたい」と言われた)

道路からそれて森の中に入り、けっこうな傾斜のあるところを歩いた。
新治は昭和30年代後半までは木材需要に対応する林業の地だったという。
今では、「市民の森」67ヘクタール、市民にとって貴重な緑。
周辺の緑地や動物園も合わせて横浜市の緑の拠点とも言われるようだ。

子どもたちは、どうしたって散策路から森の中に踏み込みたくなる。
自分もそんなガキだった私にはその気持ちはよくわかる。
しかし、市民共有のものである森ではそれはNGとされている。
幼児が自由に歩くくらいいいではないか、と、思うが、、、
(幼児だけで勝手に歩けるわけもなく、収拾がつかなくなるか)

竹林の間の道を登ると、尾根を少し歩き、下りは雑木の間にまばらに残る檜と足元に笹。
森を抜けると小川があることを知っている子どもたちは笹舟を上手に作る。
小川に出ると笹舟を浮かべ、流れていく姿を追いかけながら歩く。
途中、岩などに引っかかると、川に降りて救出。
だが、水と岩などに阻まれ簡単にそこまで行けないこともある。
笹舟といっしょにちょっとした冒険。
これも、水の流れが大好きな私にはよくわかる。

小川沿いを歩いていくと、梅田川本流にちょっとした広場がある。
その中州には歩いて渡ることができる。
「今日は中州でお弁当にしようか」「うん、いいね!」
シートを広げて場所を作る。
この間、笹舟を追いかける子、川で何かを発見する子、水に何かを投げ込む子、、、
さすがに寒いから川に入って水遊びをする子はいない。
きっと、春になればバシャバシャと盛り上がるのだろう。

シートを広げてお弁当タイム。
と、その前に、絵本の読み聞かせがあった。
当番のお母さんが選んで持参した絵本を出すと、子どもたちは車座に。
「ちょっと長いお話し選んじゃった。失敗だったかも」と、後から反省の弁があったが、
子どもたちは静かに狐の親子の物語に没入しているようだった。

この日は日差しが暖かく陽だまりでのいいお弁当タイムになった。
畑の野菜を使ってくれているお弁当もあった。
弁当を食べて少し休んでから再び川沿いを歩く。
途中、幼児では渡れない飛び石があり、私が抱いて運んだ。
長靴で参加していて良かった。

畑に戻ると、焼き芋当番のお母さんたちはちょっと苦戦していた。
遠火で芋を焼く焼き芋の火加減はなかなか難しいものだ。
さて、この日は次の予定があり、焼き芋を持って、またまた歩いて移動。
畑から5分ほどの新治里山公園にいはる里山交流センターへ。
2時間ほど前に近くを通ったとき、中庭の焚火が威勢よく燃えていた。

1月14日、どんど焼き。
お飾りなどのお焚き上げを着火する前に、その隣ですでに熾火になっている焚火。
だんごを炙るためのものだ。
お焚き上げ用の方には、たくさんのお飾りやダルマも10個近く積み上げられている。
100人くらいかな、参加者が火の周りに集まっている。

横浜北部では、だんごを刺す枝を3本仕立てにする習慣があるという。
1つを家族で分け合って食べ、もう1つはご近所さんと交換、そして1つは神棚へ、
ということらしい。
無病息災・家内安全、地域で仲良く暮らす思いなどが込められているそうだ。

市民の森愛護会がシラカシを除伐して作ってくれた三つ又の枝。
焼き芋当番のお母さんたちが手作りしてくれただんご。
焚火の周りからみんなで並んでだんごを熾火の上にかざす。
ちょっと時間はかかるが、少しずつ炙られて白いだんごがほんのり茶色くなる。
地域の伝承行事が公園の中に移動し、新住民も含めて暮らしに定着している。
私もつい最近近くに越してきたという方とだんごを交換した。
ホカホカのだんごが美味しそうだったが、焼き芋の方を食べた。

みなさん、ゆっくりと焚火を楽しみ、だんごを持って家路に。
無病息災とコロナ終息も祈願。
私は新治がコモンズであることも願った。

30㎞以上、たぶん誰よりも遠くに持ち帰られただんご。
我が家では、三つ又の先の丸いものが「カワイイ!」と、そのままキッチンに飾られた。

(定年退職後も益々、、、石田周一)