第158回 モヤモヤ

2021.10.31
いしだのおじさんの田園都市生活

殺傷事件のあった津久井やまゆり園で、
長年にわたり一日の大半を車椅子に拘束されていた知的障害のある方がいる。
多動でありかつ歩行が不安定、転んでけがをしたことがある、ということで、
「安全のため」と、拘束となったという。
以前は、おしゃべりしたり、名前を書くこともできたが、
しだいに不活発化していった、そうだ。
事件後に他の施設に移り、リハビリをするなどし、施設の外での作業にも参加、
だんだんと歩行もしっかりしてきて表情も豊かになり、能動的になってきている。
外出も増え、レストランで好きなメニューを選んだり、生活を楽しむ機会もある。

他にもやまゆり園を出て他の施設に移った方たちは、
活発に作業に取り組む日常となり、
身体つきもたくましくなり、表情も良くなるなどの報告がある。
重度訪問介護の暮らしに移行して、多くの自由を獲得した方もいる。
テレビで紹介されたこともある。

やまゆり園では、日中に作業などの活動がほとんどなかったという。
実はそういう施設は多い。
人里離れた山の中に施設があり、
支援のマンパワーは質も量も不足しており、
利用者をただ収容して「見守って」いる。
その施設の運営方針の問題、
職員の力量の問題もあるが、
社会構造上の問題とも言える。

津久井やまゆり園は、殺傷事件について被害者であると主張し、
おそらく世間もそう思っている。
しかし、障害者の豊かな暮らしを創出できずにいたこと、
そのなかで元職員の犯人が差別思想を深めていった形跡があることを考えると、
加害の側にいたとも考えられる。
県立施設であり、指定管理になっているが、県にも責任がある。
知事は利用者たちに謝罪した。
適切な環境と方法で支援をすれば生き生きした日常があることを実感してのことのようだ。

やまゆり園からの利用者を受け入れた別法人は、
県と共に他の県立施設の改革にも動き始めている。
県の直営の施設でも不適切と思われる事例があったからだ、そうだ。

さて、もしも、私が津久井やまゆり園のような施設の新人職員だったら、と、考えてみる。
車椅子に拘束されている利用者を見て、
「これはおかしい、のでは?」と感じ取れただろうか?
支援を変えていけば、その方の日常も心身も変えられると思えただろうか?
もしも、その力量はあったとして、「支援方法を変えよう」と切り出せただろうか?
忙しく動き、空気を読みながら、場に慣れようとし、先輩には従い模倣する、日々。
新人としてそこにある日常を引き継ぐことに精一杯かもしれない。
疑問を感じたとしても、それを発言して、対話のできる職場環境ではないかもしれない。
その職場環境も悪意に基づいたものではない。
津久井やまゆり園の元園長が「職員たちは一生懸命やっていた」と言うのも偽らざる気持ち。
そういう場で、心も身体もすり減らしていたかもしれない。

実は、私、今勤めている現場でも「これはおかしい、のでは?」と思われる事例がある。
支援を変える必要があるのではないか?と、思っている。
少なくとも職員間で対話をして振り返りと再検討をする必要はある、と。
もう新人ではない定年退職を控えた私だが、言論の自由を行使するのは簡単ではない。
しかし、婉曲な言い方になっているかも、だが、発言を始めている。

Tさん、最近、言動が立派である。
と、私は思っている。
実は、彼は数年前に利用者から職員になった。
利用者だったころは、ドウシヨウモナイやつだった。
作業中、能力はあるはずなのにそれを出し惜しみ、グズグズグズグズ。
他のより重い障害の方と較べても格段に少ない仕事量。
気に入らないことがあると、荒れる。
「包丁を持って暴れていいか」とすごむ。
実際にそれをやったこともあった、ようだ。
親を亡くし、兄弟にも見限られ、辛いこともあっただろう。
就職のための実習に行っても、根気が続かず、が、数回あったと記憶している。
仕方なく(?)、法人が工場の作業員として雇用した。
もともとグズグズ作業していた現場から20mほどのところに別のポジションを得た。
利用者は入れない、作業員だけが働く場だ。
それからもいろいろあったことは推測される。
他の作業員さんともめている場面も見た。
作業員さんたちも大変だっただろう。
しかし、数年を経て、安定してきた彼。
この夏は、猛暑の作業もこなし、挨拶や言動もしっかりしてきた。
工賃の数倍の給料を得ていることもあるだろう。
支援現場の作業ではなく、本物の仕事であることが彼を育てたか?
皮肉な言い方をすれば、支援を止めたことでショウモナイやつがマットウになった。
障害者扱いしない支援?
手放す支援?
そんな支援もあるのではないか、と、思っている。
非常に良くない言い方と承知の上であるが、
「バカのふりをして楽をするやつ」も、けっこういる、と、思っている。
それを見抜けない職員もバカ。
いや、職員もバカな方が楽、、、
あああああ、言い過ぎた。

今、彼と似たような、不安定になっているKさん。
確かに、苦しい育ち方をしてきて、ツライことの多い人生、なのだろう。
しかし、その辛さに寄り添い、包容するだけでいいのか?
最近は、それでも不安定になり、荒れて、負のスパイラルになっている。
だが、彼の中には多くの可能性が見え隠れしているのではないか?
本物の仕事をしてもらい、
必要ならば、その日々の苦闘にこそ職員が寄り添い、
日々、自ら成長を獲得し、
他者の期待に応えることで誇りを持つ、
そういう方向に進めないものか?

あと数ヶ月で、おじさん、何ができるか?何をするのか?

石田周一