第146回 田園ふれあいランド、身土不二

2020.10.31
いしだのおじさんの田園都市生活

1枚の写真がある。
15人ほどの仲間たちが、並べられた米袋の後ろで満面の笑顔。
2007年の秋だから、もう13年も前になるのか、、、
な~に谷っ戸ん田の最初の秋。
春に耕し、種をまき、苗作り、くろつけや代掻きの田作り、田植え、
夏は、草取り、そして草取り、、、
ホタル観賞やBBQなどのお楽しみもあった。
そして、稲刈り、脱穀、籾摺りして、稲は米になり、山分け。
そりゃあウレシイよね。
1人(1区画)40㎏近くあったし、、、

講演などを頼まれたとき(最近あんまりないけど)、
必ずこの写真を見せて、次のようにしゃべる。
このあと、みなさん、家に持ち帰ってこのお米を食べたわけですけど、
「こんな美味しいお米、食べたことない」という大絶賛でした。
その味に感動しちゃったわけです。
でも、たぶん、食味の専門家が食べたら、そんな評価にはならないでしょう。
(ここでちょっと笑いを取る)
確かに、蛍も舞うほどの自然環境、天日干しなど、いい条件もありました。
農薬を使わず、草取りに汗を流しました。
つらい草取りも、仲間が集ってやると楽しいものです。
しかし、なぜ美味しかったかは、、、
それは、みなさん、口だけで味覚だけで味わったのではないからです。
汗を流して米作りを経験してきた身体全体で味わったからです。
また、稲が育ち米になっていく物語と共に心でも味わったからです。
米を作り食べるとは、もしかしたら本来そういうものなのかもしれません。

「身土不二」という言葉を最初に知ったのは30年ほど前。
私に野菜作りの基本と楽しさを最初に教えてくれた加藤さんからだった。
「自分が暮らす地域の農産物を食べることが身体に良い」というような意味で、
もともとは仏教の用語であると、、、
自給自足に憧れていたし、
地産地消が言われ始めたころだったような、、、
まだ、若かったおじさんは、単純に、ある意味で表面的に「カッコイイ」と、思った。

世界の果てからも食材を仕入れ、
高価、高級、レアなどが美味しさの基準であるかのような、
そんなテレビなどのグルメブームへの反発もあったかもしれない。
自分たちで育てた、いや、自分たちと共に育った米や野菜を食卓にのせる機会が増えてきて、
そんな、泥くさい食事こそ、価値があると実感し始めたころだった。

さて、この秋、
子どもたち、お母さんたちから、
「お米がとっても美味しい」と感想をもらっている。
例年になく脱穀、籾摺り、精米が早く、みなさんへのお届けも早い。
追加注文もたくさんいただている。
子どもたち、お母さんたちとは、米作りのいろんな場面を共にしてきた。
ポット苗用の一粒ずつの種まきは3歳児もいっしょに頑張った。豪
水を入れた田んぼでの泥遊びでは、泥が苦手だった子もすっかり笑顔。
田植えでは子どもをおんぶして植えたお母さんもいた。
追肥と米ぬか除草を兼ねたぬか団子投げは大いに盛り上がった。亀もびっくり。
稲刈りでは、自分の背丈ほどもある稲束を運び大人に渡す子どもたち。
脱穀を楽しみにして放課後に駆けつけてくれたお兄さん。
などなど、そうやって稲が育つ過程を体験してきた子どもたちにこその米だ。
たくさん、たくさん、全身で味わってほしい。
(収量が不十分で「たくさん、たくさん」になっていない。
来年はもっともっとできるような田んぼにしたい)

さて、そこで、「身土不二」。
最近、身土不二を微生物の観点でとらえる考え方があるようだ。
地域ごと土地ごとに固有の微生物がいる。
それは、その土地で農作物を育て、それを食べる循環のなかで人の身体をつくる。
(排泄物を土に戻せばなお良いのかもしれない。)
その土地の作物を食べることで人と微生物は支え合う関係になる。
土と健康。
というような考え方。
コロナなどに対する免疫力も高まる。

子どもたちは、森を走り回り、田んぼの泥をよろこぶ。
畑では泥の手で野菜をもいで口に運ぶ。
母の料理でも食べる。
まさに微生物と愛の循環の中にいる。
身土不二だ。

(石田周一 「はまふぅどナビ」に2度目の登場! 前回の登場は19号