第135回 楽しめば田んぼが残る?

2019.11.30
いしだのおじさんの田園都市生活

陸稲の話から続く、、、

前回、書いた。

みんなで時間をかけてやることが楽しく、意義があるはずの稲刈り。
今年は、残念だった。
来年、どう巻き直そうかと、、、
(正しい日本語は、巻き返す、か?)

と、

そうなんだ。

田んぼは、ある程度、時間と手間をかけて、
仲間と協力して楽しむ場であってほしい。
しかし、そのちょうどいい加減が難しくもある。

また、前回、横浜市の水田のことも書いた。
面積は、1980年に1,156ha、2015年には155ha。
13%しか残っていない。
と、
35年で87%減ってしまった。

私の友人の青葉区の農家K家では、
家族でやっていた田んぼに昨年15代目がコンバインを導入、
しかし、農業に対してすごくやる気のある、実際にやっている16代目が、
ハウストマトの規模拡大を目指して、この冬に田んぼを埋めるそうだ。
農業に熱心でも、代々の田んぼを埋め稲作を手放す。
そういう事例もある。

一方で、農林水産省統計部「米生産費調査」で米の生産にかかる直接労働の時間が分かる。
1980年は64.4時間(10a)が2006年には27.96時間と半分以下だ。
単純に言うと、機械や技術の進歩で、米作りの労働は大幅な時間短縮を達成している。

と、いうことも紹介した。
まぁ、この数字に貢献しているのは大規模産地が主であって、
横浜は、、、
うん、それでも、横浜でも、
小回りの利く軽トラに乗るサイズの乗用田植え機が見られるようになって、
田植えで田んぼを機械といっしょに往復する人は減ったし、
マジンガーみたいなコンバインが出て来て、稲刈りの委託も増えて、
家族で、バインダー、掛け干しという光景は減っている。
生産はかなり楽になっている。

それでも田んぼが減っているのは、、、
俺の勝手な持論だが、
「労働」時間が減るのと並行して楽しさも減ってしまった、から、、、

勝手な持論だが、
だから、田んぼを維持するには、
楽しさを維持することだと思っている。

楽しさというのは、もちろん個人差がある。

我がシェアハウスに集う仲間たちの多くが、
「農に学ぶ」に参加している。
寺家町の谷戸にある田んぼに集い、作業を楽しんでいる。
生産としてはかなり厳しい谷戸の田んぼ。
ほとんど機械は使わずの作業。
今年は、稲玉が大量発生するなどしてかなりの減収。
仮に豊作でも、素人の手作業では得られるお米はごくわずか。
一人当たり5㎏ほど。
だが、その作業自体を仲間で楽しんでいるようだ。
そのことで谷戸の田んぼが維持されている。

かつて、俺、な~に谷っ戸ん田をやっていた。
これも、谷戸田だったが、もう少し規模は大きかった。
機械もいろいろ使っていた。
トラクター、田植え機、草刈り機、バインダー、ハーベスターなど、
1区画当たり125㎡で順調ならば40㎏くらいの分け前。
「自給」と言ってもそう誇大ではないレベル。
しかし、夏場の草取りはキツカッタ。
炎天下の田んぼに這いつくばって何往復もしても、翌週には草がいっぱい。
仲間といっしょに取り組むからムリヤリ「楽しい」と言っていた。
いや、谷戸の環境があったから、実際、楽しかった。

収穫のよろこびを目指して、楽しむ。
ある程度の収量という満足感も含めた楽しみ。
収量よりも作業そのもの、稲が育つ姿そのものを楽しむ。
仲間と共に耕すことの楽しみ。
(共にノミクイすることの楽しみ!)
田植えも稲刈りも手作業という楽しみ。
機械といっしょに田んぼを歩く田植えや稲刈りの楽しみ。

そう、楽しみはいろいろだ。
その楽しみによって耕作され維持される田んぼもいろいろ。
田んぼを維持することを考えたとき、
面積と労働生産性・収量(稼ぎ)でとらえれば、最新の高価な機械が必要になる
が、特に横浜ではそれだけでは無理なので、、、

もう少し、いや、もっともっと整理して論考せねば、
と、思いつつ、

つづく

石田周一
田園都市生活シェアハウス代表

いしだのおじさんの田園都市生活