第112回 新「田園都市生活」2018

2017.12.29
いしだのおじさんの田園都市生活

故郷に戻ることにした。

このコラムの第35回(2011.7.31)で、
「故郷を離れることになった」
と書いた。
32、33、34回は「故郷を耕す」というタイトルだった。

32回は、以下のように始まる。
「放射能がやってきても、青葉区で耕し続けるか」
と、問われた。
「青葉区は私の故郷です」
と、応じた。
明峯哲夫さんとの問答だった。)

故郷を離れたら「田園都市生活」じゃなくなるわけだし、
「離れることにした」というより「離れることになった」であって、
ちょっとした悲壮感もあった。

あれから6年と半年余り、、、
あたたかくなるころには、ホームグラウンド横浜市青葉区に帰る。

都内の暮らしも悪くない。
中央線沿線の映画館、居酒屋、音楽スタジオ、
平らな街の公園や農地を自転車で回る。
いわゆるカルチャーを楽しんでいる。

都内に転居し、職場が23区内になっても、
離れた故郷にずっとかかわってはいた。
「な~に谷っ戸ん田」には通い続けていたし、
半年の都内での勤務を経て、希望して横浜に異動し、
時間はかかったが耕す場を得て私らしい仕事を創ろうと、
昔からの同志である元横浜市職員で現農協職員のKさんの力も借りて、
新治に畑や田んぼを(社会福祉法人として)確保し、
幸陽園農耕班の利用者さんや地域の仲間たちと耕している。

また、実際、よく横浜の実家に泊まっていた。
週に2~3回、、、
毎月定例の「まつもとの会」をはじめいろんな呑み会もあったし、、、
実家には自分の書斎があって、
原稿書きなどに集中する(?)こともできた。

そもそも、日々の移動距離が大きすぎた。
例えば、今日の私、、、
朝5時半には犬と散歩。寒くてブルブル。幼犬で落ち着きないし、、、
(まさか、私、というか俺が、
犬に束縛される生活をするとは思っていなかった。
毎朝5時半の散歩だ。
むしろ俺は反対した犬との生活、
なのに、毎朝、散歩に同行するのは俺。
カワイイから行くのか、行っているからカワイイのか?)
で、6時半過ぎにはハンドルを握り、約30㎞を1時間半弱。
(燃費は20㎞/ℓ。新車が6年で10万㎞)
そして、保土ヶ谷区の職場から新治に移動して農作業の1日。
肥し臭くなりながらも、
前職のように1日平均10時間も働いたりせずに、
夕方にはそそくさと帰路に着くが、
帰宅し、また犬と散歩に行き、風呂、炊事、洗濯、で、
PCの前に座ったのはもう22時。
明日も5時過ぎに起きることを考え、やっとこさ1時間。

同居人たちはここでの都市生活に馴染んでいる。
消費することが主体であることに無自覚な生活。
いや、それ以外の選択肢がないのだから、、、
ケチをつけてもショーガナイ。
私自身も横浜で耕してはいるが、
生活の軸足が消費にある。

往復の運転にも慣れて来たし、(慣れてもツライが)
都内での生活をそれなりに楽しんではいるが、
やはり、
生活の場と活動の場が離れていては、
軸足が生産よりも消費にあっては、
それこそ、地に足が着いていないなぁ、という感覚が、
違和感というやつがずっとあるのだ。
物理的な理由で心理的に落ち着かないのだ。

いや、
イイワケを並べているような感じだが、
なにゆえ故郷に帰るのか、
帰って何をするのか、
を、語らねばならないだらう。

それは、
私なりの「田園都市生活」をさらに進めるため、
である。

オシャレな田園都市生活ではなく、
泥臭い、ときに肥し臭い、田園都市生活。
お金で買って食うよりも、
自ら耕し、そして五感で味わうことを喜ぶ。
省エネはもちろんだが、エネルギーの自給も試みる。
そんな田園都市生活を仲間と創っていきたい。
消費ではなく生産の田園都市生活だ。

もちろん、自給自足ができるわけではない。
生産し自給するモノがあったとしても、
圧倒的に消費する生活だろう。
しかし、
使う時間や労力、向いている方向意識が、
生産主体であることが大事だと思っている。
そんな新しい生活を新しい同居人と創っていきたい。

石田周一