第93回 釜飯仲間・おこげのお話

2016.8.31
神奈川・緑の劇場

本物であるならば、きっと実現できるに違いない。

そう思えることが次々と起こっている。今、里山でシゴトするプロジェクトを始動させようとする中で、近年の農業関係の様々な動きからも、かつては不可能と思われたことが実現できている事例を思う。

不可能と思ってしまった「経験」が邪魔をしてはいないか、むしろ、「経験」を活かして「本物」を実現させる力にしなければ、と思う。

まだ、ラジオニュースで耳にしただけなのだが、「かながわ鶏」だって?!食用の、鶏肉用の?!そう。神奈川の食糧生産の魅力をおおいに語ってきた中で、いわゆる「若鳥」、食用の鶏の生産は統計上ゼロ、というのが、「神奈川、地産地消クイズ」にもなるくらいに、特徴的なことだった。

それには訳があった。神奈川で若鳥を生産することに採算が合わないということだった。なのに、いよいよ「かながわ鶏」の生産を手掛ける人たちが現れたのだ。大規模でなければダメ、とか、生産性が高く競争力が無ければ、とか・・、やる前にあきらめていたのではないか?

本当に大切なことは、そんなことではないのではないか?作ろうとする人、作る人を支えようとする人、出来上がったものを求める人々。

まったく、だれかが勝手に作った「常識」ってやつはあてにならない。神奈川では大豆は自家用程度がせきのやま、大規模で機械化して低コストで生産しなければ、販売用などは無理、実際に、輸入大豆に押されて国産の自給率はわずか3%ではないか、と言われていたのが25年前。それが、「津久井在来大豆」のおいしさと、国産、地場産大豆を作る運動とが相まって神奈川産の大豆がちゃんと売られるようになった。大豆は、日本の食文化のカナメ。味噌、醤油、豆腐、納豆、きなこ・・・。これからも、しっかり神奈川の大豆を育てたい。国産自給率は5%になってきたではないか。

神奈川のお米のおいしさも、私一人、叫ぶ時代ではなくなった。多くの人々が神奈川のお米のおいしさを知っている。

あの米不足のころだった。「(汚い水の入った水田の)神奈川の米なんか食えるのか?」と毒づいたのは、某産直団体の幹部。彼の出身地、栃木産の米は、福島第一原発事故以来「風評被害」に悩む。(神奈川の水田に、汚い水など入っていない。)

今、神奈川の酒蔵の評価が高まり、「神奈川は水が良いから酒もうまい」という。

同様に、神奈川産100%の牛乳がスーパーの店頭に普通に並ぶようになった。これも、驚きではある。実際に並んでしまえば、昔からあったようにも思える。神奈川の牛乳の魅力、価値を訴えて、身を粉にしてきた人たちがいたことなど誰にも知られることもなく、時代は流れていく。

かつて、酪農生産者たちの経営の砦が神奈川にはあった。大資本から命がけで、その砦を守らなければならない歴史があった。そこでは、神奈川産100%の牛乳が生産され、(少なくとも高度経済成長期、そんな牛乳は評価されなかった。米同様、神奈川の牛乳なんて飲めるのか、と言われていた。)その美味しさがごく一部ではあったが消費者に評価されてきた。そうして、神奈川産100%の牛乳で、牛乳本来のおいしさを追及した「低温殺菌牛乳」が開発されたのだが、幻のように消えた。

時代が少し、ほんの少しだけ早すぎたのか。今ならば、と思わなくもない。時代が追いついてきた。

その開発、普及に携わった人々は、今、あたりまえのように店頭に並ぶ「神奈川産100%の牛乳」を、どのような思いで見ているのだろうか。

何度も繰り返して記すが、全国の農民団体の幹部から「神奈川で農業なんてしなくていい」と言われ、「神奈川の農業に未来は無い」と県内生協幹部から言われていたのがわずか25年前のこと。いま、そんな時代の空気は無い。

「神奈川は農産物の、食糧の宝庫」とまで言われるようになった。「神奈川産ならおいしいに決まっている」という人にも出会った。そんなに甘くない、簡単ではない、気を抜くな、と心の中で叫ぶ。が、こみ上げてくるものも、ある。

私など、何をしてきたわけではない。私を導いて、そして先に逝ってしまった人たちと語り合いたかった。

秋の端境期に入った。台風が次々と襲う。なのに、今夜、並んだ野菜たちも魅力的だった。それぞれの生産者たちと、生産者たちを支える地域の魅力が、映し出されている。

そうして、ひとりひとりの食卓も魅力的になっていく。

(2016年8月31日記  おもろ童子)