石田のおじさんの田園都市生活

第43回 虔十のいる所

2012.3.31
いしだのおじさんの田園都市生活

絵をいただいた。

黄金色の麦畑を駆け回る子どもたち。
向こうに田畑と雑木林。

タイトルは「虔十のいる所」
描いてくださったのは中畝常雄さん。
子どもと自然を主題に描いている日本画家だ。
新治在住で、よく森を散歩するそうだ。
私も以前新治をよく歩いた(走った)。
中畝さんの絵に既視感を覚えることがある。

私は宮沢賢治の「虔十公園林」が大好きだ。
いや、単に好きだというものではない。
この話をよすがとして生きてきた。
とすら思っている。

人々から「馬鹿は馬鹿だ」といわれる虔十が主人公。
その虔十が木を植え、それは人々がやすらぐ公園林となる。

「たれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」

(緑が)本当のさいはひが何だかを教へる

そんな話に何かを投影しながら生きてきた。

「馬鹿だ」と言われながら林を創る。
いや、愚直に緑と向き合った結果が林だった。
いやいや向き合ったものは緑だったのか。

林を子どもたちは喜んだが、
それすら、そう思ってその場を用意したわけではない。
虔十は何も知らずに何も計画せず行動した。
いや、どこかで何かを学んでいたのか。
どうだろう。

さて、私が「虔十公園林」が好きで、
そのお話とそこにある何かをよすがとしているとして、
そして、
私の周囲の現実にその何かを投影しているとして、
虔十は誰になるのだろう。
虔十は私か?
いや私ではなく、私と共に耕す人たちか?
そこにいるみんなが虔十なのか?

そもそも虔十は存在しておらず、
私の無理な思い込みだけが存在するのか?
私自身が現実を見つめるべきか?

わからない。
わかることが必要とも思わない。

しかし、
私は再び虔十のいるところをさがす。
そんな場を創ろうとする。

新しい春を迎える。

(いしだのおじさん)