石田のおじさんの田園都市生活

第37回 田園と都会

2011.9.30
いしだのおじさんの田園都市生活

9月中旬に収穫した芋をいただきました。
サトイモとサツマイモ。
どちらも、掛け値なしにとても美味しかったです。

あの畑はいわゆる「重い土」です。
粘土質が強く、肥沃かつ水もちが良いというような意味です。
田んぼのような土を好むサトイモには向くけれど、
サツマイモには不向きだと思っていました。
サトイモは肥料も水もいくらやってもいいといわれます。
一方、サツマイモはご存知、救荒作物。
痩せた土でも栽培できるもので、
むしろ乾いた軽い土を好みます。
今回、ツルがかなり茂りました。
つるぼけ、木ぼけを心配していました。
窒素分の多い土で栄養がつるにばかり行ってしまうと、
地中には貧弱な芋がちょぼちょぼ・・・
そんな経験があります。
しかし、今回掘った部分に関しては、
ちょうど手ごろな大きさの芋がそこそこの重みでありました。
今後、あの長い畝を掘り進むと、
場所によっては・・・どうでしょうか?
いや、期待したいところです。
サツマイモは寒さに強くありません。
10度以下になると腐り始めます。
11中旬までには掘り終えるようにしたいですね。
サトイモもねっとりと美味しかったです。

美味しい芋は家族に好評でした。
「美味しい!」
「今度、スィートポテト、作ろうかしら」
「ヒデも掘ったんだよね」
「ホッピング、ジャンピングだよね」
などと、会話が弾みました。
ホッピング、ジャンピングとは、
ジャンプしてスコップの上に両足で着地することです。
ホッピングという遊具があります。
そうやって深めにスコップを入れて、
掘り起こすと、
芋の紅があらわれ、
あるいは親芋と子芋のかたまりがあらわれ、
「ワーッ」と歓声があがりました。
芋掘りそのものも大いに楽しめたのです。
サトイモの葉は傘になりました。

仲間と、
耕し、畝を作り、植え付け、
草取りなどをして見守り、
収穫を楽しみ喜び、
家族の食卓にならべたのです。
今後、野良仕事の合間の焼き芋も楽しめるでしょう。
小さな幸せです。
こんな小さな幸せに大きなものを感じます。

先日は林くんから空芯菜、獅子唐、四角豆をもらいました。
大場くんは丸さやオクラをたくさんくれました。
そして、中華鍋持参で我が家に来てくれ、
沖縄仕込みのゴーヤチャンプルーを作ってくれました。
家族が穏やかな時間と感動に包まれました。
自分たちで畑に立つ幸せもありますが、
仲間が畑から運んでくれる幸せもあります。
彼らは農で稼いでいるプロだから、
もらってばかりではいけません。
でも、とりあえず、
お腹だけでなく、心も満足します。
(コマーシャルみたいですが・・・)
それは、
彼らが心を込めて作物と向き合っていることを知っているからです。
もらっているのだけれど、分かち合っているように感じます。
勝手でしょうか?

私が今住んでいる東京の方たちに話します。
「いいですねぇ」と、言われます。
都会の人たちは憧れ、想像を膨らませるようです。
「いいですねぇ」のあとは、
「野菜がもらえて」
「仲間がいて」
「畑が身近にあって」
・・・いろいろです。
緑があって仲間がいて野菜のある生活。
いいでしょ、と、自慢します。

しかし、あまり関心のわかない方もいます。
「いいですねぇ」ではなく、
「ふ~うんん」の人たち。
野菜はお店で買うことができますから、
それは、作るものではなく、買うもの。
むしろ、必要に迫られて、買わねばならないもの。
少しでも安く買えたら、それでいいもの。
わかちあって心を満たすもの、とは、
どうも、想像しにくいようです。
それが、都会の生活。
いつか、この都会の人を畑に連れて行きたいと思っています。
今は、まずは、運んできた作物をおすそ分けして、
「いいですねぇ」の人たちは益々感じてもらい、
「ふ~うんん」の人たちにも何かのキッカケにしてもらいたいのです。

さて、実は、
ここからが本題です。
私が今いちばん考え、
また、
ある意味では、悩んでいること・・・

私は、おすそ分けのために芋がたくさん欲しいのです。
「たくさん」では分かりにくいので、10kgとしておきます。
しかし、
芋はみんなで作ったみんなのものです。
たぶん200kgはとれそうですが、
どうやって分け、持ち帰ればいいのでしょうか?

みんなのものです。
しかし、
「みんなのもの」って、やっぱり解りにくいのです。
どうやって「みんなのもの」から「じぶんのもの」にするか?

気持ちも論理もストンと落ちる何か、
考えたいと思っています。

つづく・・・

 

いしだのおじさんの田園都市生活