第188回 やっぱ、うなっちゃった
2024.4.30いしだのおじさんの田園都市生活
「これは?なんですか?」
「これね。これは、白菜の花なんですよ。」
「えー、こんな黄色い花が咲くんですね。」
「畑で白菜の花が咲いたら、それは、栽培の失敗なんだけど、、、
実は、この菜花、咲く前のこの蕾が美味いんですよ。
僕なんか、こうやって、食べちゃうんですよ。」
と、残っていた小さな蕾をむしって、パクリ。
口に放り込んだ。
(ヤバンジンと言われることもある。自分で言う場合も、、、)
すると、
「えっ、私も食べてみていいですか?」
「いや、もちろん。どうぞ」
と、大胆にも、彼女も私の行為を真似て躊躇せずにパクリ。
「えー、すごく美味しい。甘いですね」
幸陽園農耕班の畑でのワンシーン。
美しく、若く、理知的な、女性。
この後、石田、幸陽園農耕班の独特の稲の育苗なども説明し、
彼女、興味深くそれを聞いてくれた。
楽しい時間だった。
そんな女性が幸陽園農耕班の畑に現れることがビックリ!
で、
4月も中旬を過ぎているのに白菜が残っていることは、
実は情けない話なのだが、
おかげで楽しい時間を過ごせた。
翌日の石田、
幸陽園農耕班の畑から借りて帰ったミニ耕耘機で自分の畑を耕していた。
うなう、と言うのだ、耕すことを、、、
漢字で書くと「耡う」。
つい先日までネギを収穫していたエリアで、
少し残っていたのを引っこ抜き、
繁っていたカラスノエンドウなどを刈り払い機でブッ飛ばし、
その有機物は地中にうないこんだ。
ワラや落ち葉をたくさん敷いていたので、
実は、その環境を利用して不耕起自然農の畑を夢見ていた区画だ。
耕さずに、ネギを抜いた穴にトマトなどを植え付けようかと、
耕さないことで、微生物の活動を促進させ、里山のような環境を作れるかも、
ワイルドな野菜が収穫できるかも、
などと、妄想していた。
だが、しかし、
やはり、それは、今回も、無理だと判断した。
後々の手間がかかりすぎる、と、予想された。
草は刈って敷けばそこも虫や菌や微生物の棲み家となり、、、
土は自然の力で豊かになっていく、のではないか?
しかし、そんな手間をかけられない。
やっぱ、ビニールマルチの畝でしょ、植え付けや管理を考えたら。
そのためには、草や落ち葉が散らかった地面を耕してリセットしなければ。
そんな事情を優先させた土木作業となった。
実は、俺、けっこう土木作業が好きだったりする。
トラクターやマルチャーで風景が変わるのも、気持ち良く感じる。
そういう農家さんも多いのではないか。
機械が大好きな農家も多い実感がある。
不耕起自然農は、
実は、
耕すことを省略することで手間が省けるのは、
小面積の場合はそうかもしれないが、
一定面積以上になると、難しい。
と、石田は思っており、実感しており、
大面積をこなす方法や機械もあるらしい、が、
そういう事例は身近には見たことがないし、、、
また、今後の課題ができて、ソレハソレデ、だ。
そして、今回は、ミニ耕耘機を使ったので、
トラクターなら一発で耕せるところを何度も往復する必要があった。
マルチの畝も、管理機は使わず手作業でボチボチ作った。
ご近所さんに、小さな耕耘機だけで見事な畑を作っているオジサンがいる。
その実直さに敬服する。
それを模倣したわけではないが、
機械の運搬の手間を小さくし、自分の身体を使うことを愉しみ、
そんな畝作りをし、翌日に植え付けをした。
ナス、トマト、ピーマンなどは、本数を少なめにして、株間を広めにとり、
一本一本を大きく育てたいと思っている。
30年以上畑をやっている石田だが、
それは、知的障害の仲間と、制約もある中で作ってきた畑で、
「マめイもファーム」(豆や芋のような簡単なものを作る畑)と呼んできた。
ナス、トマト、ピーマンなどは、ちゃんとつきあった経験がない。
まだまだ初心者だ。
初心を愉しむように、時間をかけて、時間を忘れて、植え付けた。
しかし、人は、なぜ、自然農を志向するのだろう。
新規に畑を始める人、収益を気にしない人、特に女性たちに多い気もする。
シェアハウスの住人達は総じてそうであった。
青葉区内を見てもいくつものグループや個人が存在する。
畑で野菜を育てることが目的で自然農は一つの手段のはずが、
自然農自体が目的化しているように感じることもある。
シゼンノウにセンノウ?されている?
それもまた、いいけどね。
ま、石田もなんとなく夢見ていたりするわけで、
いつかはやってみたいし、
ナゼナンダロウは考え続けたい。
(この原稿には、事情があって詳しくは書けなかった情報が、、、
個別に、直接聞いてくれたら、お話ししますよー!
石田周一)