第30回 野菜の味
2011.2.28いしだのおじさんの田園都市生活
春を迎える頃となり、
次の春夏秋冬のことを考え、
我が社のスタッフもアレコレ話をしている。
いい野菜を作りたい。
作る過程を仲間たちと楽しみたい。
その野菜が「売れる」
と、いうか、誰かから必要とされる。
そんな近い未来について、
ああだこうだ、を、考えている。
未来には希望がある。
しかし、
「いい野菜」とは・・・
???
野菜は食べ物ですから、
「いい野菜」とは「美味しい野菜」だろう、
と、意見が出た。
「安全・安心」、とか、
「新鮮」、とか、も、
いい野菜の基準かもしれない。
もちろん、
「安い」 も 重要だろう。
いや、「リーズナブル」、と、言い換えようか。
安いという言葉には抵抗がある・・・
しかし、商売ですから、
お客さんが買いやすいということは大事でしょう。
売る方は、高く売れる野菜がいい野菜でして、
ここが商売の難しいところ・・・
そんな、しのごの、を話していた。
やがて、「美味しい野菜」という話題から、「味覚」の話になった。
「美味しい」ということは、もちろん、大事だ。
しかし、「美味しい」を感じる「味覚」は、コジンテキで、アイマイだ。
アイマイな根拠であっても、
作った野菜が「美味しい」と言ってもらえることは、
ウレシイことに間違いない。
先の春夏秋冬を思い出してみても、
「美味しい」をたくさん言ってもらえた。
先日、Oさん、「家族みんながグリーンのお米の美味しさに感動しました」
その少し前、Iさん、「本当に甘くて美味しいニンジンですね」
Sさんは、「料理中にニンジンをつまみ食いしちゃいます」
昨夏、Tさん、「ピーマン嫌いな息子がグリーンのピーマンは食べました」
Yさん、「人生でイチバン美味しい枝豆(9月の早どり大豆=本物の枝豆)」
Sさん、「白菜の甘味にシアワセになりました」
などなど・・・
私自身、グリーンで野菜を作るようなって、
この世に「美味しい野菜」が存在することを知った。
それまでは「美味しい料理」は存在すると思っていたが、
野菜そのものが美味しいと思ったことはなかった。
だが、やはり、それでも、
私は自分の味覚をあまり信用していない。
酒が好きだが、「美味しい」酒がわからない。
と、いうか、味が「美味しい」の基準になっていない。
いいときに呑む酒が美味しい、
いい人と呑む酒が美味しい、
いい所で呑む酒が美味しい、
味だけが独立して「美味しい」酒は???
野菜の場合、
私にとって美味しいのは、
まず、
なんといってもグリーンの野菜、
もしくは、な~に谷っ戸ん田の野菜だ。
つまり、
自分(もしくは、仲間)が作った野菜こそ美味しいのだ。
作った日々や、作った人を思い浮かべることができると、
舌だけでなく、心が美味しいと反応する。
この心が大事だ。
グリーンやな~に谷っ戸ん田の野菜がないときは、
大場さんや林くんの野菜を求めたり、
地元の直売所で野菜を求める。
知縁や地縁の人たち。
もちろんスーパーで買うこともあるが、
文字通り自らの自給、
仲間がもたらしてくれる自給、
そして、地域による自給、
それらの方がスーパーよりも多くなっている。
心が美味しいと反応できる生活だ。
(山田さんの富貴からの通信にも、
「出身が分からない野菜に落ち着かない感じを持つ」
と、ありますね。)
言い換えると、
誰が作ったかわからないけど美味しい野菜、ではなく、
自分がかかわったからシアワセな野菜、
あの人が作ったんだから美味しい野菜、
という状態、だ。
こういう私の感じ方も、また、
まったくコジンテキなものかもしれない。
しかし、多くの人に感じてほしいものだ。
グリーンやな~に谷っ戸ん田活動のなかで、
そんなお手伝いができたらいいな、と思っている。
みなさん、どうぞ来てみてください。
きょう(2011/02/27)は、
青葉みらい農くらぶのイベントがあった。
トークライブ「青葉 農 なう」
http://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/upimg/mirainou/index2010-15.pdf
青葉区の4軒の農家さんによるトークライブだった。
みなさんそれぞれの農家の思いを聞くことができた。
そして、その農家さんの野菜が販売された。
みなさんの顔と言葉を思いながらの夕食、
美味しかった。
(いしだのおじさん)