神奈川・緑の劇場 vol.32

2024.2.29
神奈川・緑の劇場


50年未来に何をつなげたい?都会生活の身近な場所に「里山」を作る時代へ

関東学院大学で学生さんたちへ「里山」の話をさせていただきました。
私にとって貴重な機会となり、改めて考えたこと、気がついたことも様々にありました。

そのひとつが「里山を造る」です。「里山」はあるもので、荒れて破壊され失っていくものではあっても、造るという意識はありませんでした。

「里山」が都会生活とは遠い存在となり、人々に関心を持たれないのはなぜか?思い出してみよう。ひとりひとりに自分を育ててくれた大切な居場所があったのではないか?それはささやかな緑、小さな公園だったかもしれない、空き地だったかもしれないが、それが「自分の里山」なのではないのか?と学生さんたちに問いかけました。

当たり前にある、身近にある場所として規模は小さくても「里山」として意識してもらいたかったのです。

それでも、都会育ちの学生さんでしょうか?「自分には“里山”と呼べる居場所は無かった。“里山”をつくるにはどうすれば良いのか?」と問われたのです。

恵まれすぎていることは大切にしてこなかったように思います。水・緑・農林水産物

地球上に人間が使える必要な水資源を日本列島ほど湛えた場所は無いと言います。

人間が生きていくのに必要な糧を得ることができる島々と水産資源豊かな海流に囲まれた自然環境。家族を中心に小さな規模で持続可能な農林水産業を営むには最高に恵まれた日本列島です。

七割を森林が覆い多様な生きものたちが暮らします。里山からは暮らしに必要な恵みを得て、神々に感謝してきた大切な日本人の心の支えでもありました。

水資源も農林水産業も里山も、日本人にとってあるのが当たり前すぎて失うなんて思いも寄らないことでした。

荒れるに任せ、汚染するがままで、壊滅寸前でも手をこまねいてきてしまいました。

私たちが生きていくために必要なもの、未来に向けて残したいものって何でしょう?

わずか10年ほど前に始まった、こども食堂は全国に9100箇所にまで拡がって公立中学校の数に迫るそうです。

こども食堂は、“こどもの貧困”対策だけでは無い、こどもを主人公にしたみんなの居場所に育ち、まだまだ多くの皆さんに求められています。これからの時代を生き抜くために必要とされています。

こども食堂のように、みんなの居場所、身近な里山を造りたい。こどもたちの成長と家族の幸せを見守る、あるのが当たり前の居場所を50年先を目指して造り拡げたいと思いました。

50年は経ってしまえば瞬く間です。それでも、世の中の価値観を大きく変えるのには充分な時間があります。

人口減少時代に向かい“本物の豊さ”が当たり前に身近にある町造りをと願います。

しかし、どんなに楽しいことを考えても、こどもたちの未来に夢を描いても、戦争が始めてしまったら止められません。いつ核兵器が使われてもおかしくない。核兵器は無くすしかありません。核兵器や核燃料に被曝した治療法も無く、使用済み核燃料の安全な処分方法も無い核技術、原発は停止し廃炉にするしかありません。

何を未来に伝えたいのか、残したいのか。という話です。

(2024年2月29日記三好豊)

・京都で振り売り(伝統的な農産物の移動販売)をする角谷香織さん→★★
・日本の農産物流通に3つの提案 神奈川野菜を届けて36年 三好 豊→■■三好 豊(みよしゆたか)

“50年未来づくりプロジェクト”を提唱します。
“もりびと”が木を植えて育てるように、子どもたちが社会の真ん中で活躍する時代のために、今日できることを一つずつ。老いも若きも一緒になって50年のちの日本の景色を想い描きたい。
1954年に生まれ父親の転勤により各地で育ちました。 1975年10月、杉並区阿佐ヶ谷南の劇団展望に入団。1982年退団して横浜に戻り演劇活動に参加してきました。1987年5月、(有)神奈川農畜産物供給センターに入職し、県内各地、各部門の生産者に指導を受けることができました。2004年に退職し「神奈川・緑の劇場」と称して県内生産者限定の野菜の移動販売を始めました。NPO法人よこはま里山研究所・NORAの支援はたいへんに大きく、これからも都市の暮らしに里山を活かす活動の一環として生産者との関わりを大切にしたいと考えています。また(株)ファボリとその仲間たちとの繋がりには、心躍るものが生まれています。