第7回 私の田園都市生活
2009.4.1いしだのおじさんの田園都市生活
私がこの田園都市青葉台に移り住んだのは昭和40年代の初め。
生まれは武蔵野吉祥寺、青葉台の前は辻堂に住んでいた。
江戸っ子(?)が湘南ボーイ(?)になり、そして田園都市生活・・・。
そのころの青葉台は、まだ田園都市線が長津田まで開通したばかり。
駅前にも空き地や畑も多かったし、車も少なかった。
駅から少し歩くと、もう舗装路はなく、雑木林や田畑という里山風景。
雑木に牛をつないでいる農家さえあった。
肥溜めなんかもあったし、田畑の周囲のため池や水路は魅力的だった。
水路もコンクリートのものは少なかった。
小学生の私はカエル、ザリガニ、カブトムシ、クワガタが大好き。
いつも何か捕まえてきていた。
しかし、飼育はさほど熱心でなく・・・。
ザリガニは腐るとくっちゃ~い。ゴメン。
ザリガニと格闘して泥だらけになると、自分もくっちゃ~い。
はさみが赤黒く立派なザリガニは「マッカチン」と呼ばれていた。
尊敬に値するものしかそう呼ばないという了解が子どもにもあった。
しょぼいやつは、「アオチン」。差別だね。
そして、カブトムシはそのころも人気者だったが、
家にも飛び込んできたし、駅前で拾うことができた。
雑木林が多く、灯かりが少なかったからだろう。
今の青葉台からは想像もできない。
もちろん、雑木林で捕まえる醍醐味は格別。
夏は切り傷だらけになりながら、毎日虫とり三昧。
「名人」といわれ、高学年になると、子分を連れていた。
「虫とりつれてってー」と低学年の子が呼びに来るのだ。
チラホラでき始めた塾に通う同級生の弟たちだ。
私は、塾なんて通ったら虫に会えなくなるから行かんのだった。
そんな小僧だった私も中学、高校は部活中心の生活。
虫とりはチャンピオンだったが、玉蹴りでは補欠。
そして、大学は渋谷でシティボーイ。
なぜか都会にウエスタンブーツで通った。トニーラマ。
里山のことは忘れていた。
里山を忘れたのには、また、もう一つの要因があった。
里山自体が目の前から失われたのだ。
小学生のころ、楽しみな夏。
前の年にカブトやクワをたくさんとった雑木林に勇んで行くと・・・。
林は忽然となくなっていて、コジャレた家が並んでいた。
なんてことがよくあった。
あの虫たちはどこへ行ってしまったんだ、
と、とてもサミシイ思いをした。
広い造成地で思い切り凧揚げをしたこともあったが、
それは、林を削り、田畑が埋められてできたものだった。
喪失感、なんてことばは知らなかったが、その実感だけはあった。
今、子どもたちは虫とりをしなくなり、夜まで塾。
わずかに残った里山でも子どもに出会うことは少ない。
ピコピコ指の体操ばかりやっているのだろうか?
大学を出て子どもたちを相手にする仕事に就いたとき、
改めて里山(というか土や水や生き物)の価値に思い至った。
どこにでもあった里山と、正しく泥んこのガキ。
なんとかならんか。
子どもたちと田んぼに入ったのは、そんな思いからだった。
もともと泥んこ大好きのガキだった私。
元シティボーイだと無理に強調することもあるが、
これからも正しい田園都市生活を続けたい。
農にも目覚めて、狩猟生活から少しは進歩したか?
今、仲間を増やし、シティに対抗したいと考えている。
ちなみに「田園都市生活」とは、
同名の情報雑誌に対抗してつけている。
キドルンジャネェ、こっちが本家だ、と主張したい。
そして、今、私は子ども時代をすごした団地に住んでいる。
田園青葉台住宅という。
30数年ぶりにもどった。
目に見える、田園は失われてはいるが・・・。
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(石田周一)