第68回 小さな森のある畑の虫便り、9月はトンボの賑わい!
2022.10.1映像の持つ力
秋の空とトンボの花
9月に入ると、うちの、小さな森のある畑は、トンボが大賑わいです!
今年に入り、コガネグモ、セミをはじめ、バッタや閻魔コオロギも増えていて、昆虫の変化がめざましい。
大賑わいのトンボは、きっと産卵期の前段階、成熟した成虫になるまでの、前生殖期をうちの畑で過ごしているのだと思います。
100キロも移動できるトンボがいるのですね、このトンボたちはどこで羽化し、うちの畑までやってきたのかしら?。
草の波をかき分け畑をすすみ、のら(野良)しごとの手をとめてとサワーチェリーを見上げると・・
収穫が終わり葉を落としたサワーチェリーの枝のそこかしこにトンボがとまっています!!。
まるでトンボの花が咲いているよう。
秋の夕空にトンボの羽が透けて、得も言われぬ趣きです。
空をみあげると、十匹ほどずつ群れて、畑の上空を飛び回っています。空に枝にいったい何匹のトンボがいるのでしょう。
きびしい酷暑がやわらぎ、秋の長雨や台風の影響で畑はうるおいを取り戻しました。
すると、がぜん勢いを増してくるのが草、草、草。畝に通路にと、薬草、野草が腰まで伸びています。
この生命力の集合のさまに、何度みても、ただただ圧倒されます。
小さな小さな田んぼエリアにも水が溜まり、水田に様変わりです。
雨どいを設け雨水が田んぼエリアに溜まるようにすると、セミのように、トンボも私たちの畑で羽化するのかしら?
そうでした、ありがたい事に、畑のある場所は、近くにサギが棲む天然ビオトープの水田がのこる地域です。トンボは、わたしたちの畑にある、小さな小さな田んぼより、きっと水いっぱいの水田で羽化しますよね。
追伸:
わたしたちの畑に訪れていたトンボは、10月2日の朝、つぎつぎに連結飛翔で畑を後にしてゆきました。
トンボさん、うちの畑で生殖できるだけの体力をつけ、交尾をし産卵へと向かったのですネ。
赤トンボが立ち寄る畑
命のにぎわいが、次の命を寄せる?
調べてみるとうちの畑に飛来してきたトンボは、アキアカネの可能性が高いです。
・近くに水田がある。(この水田で羽化したのかしら?)
・お腹の部分が赤か淡い褐色。
・酷暑が過ぎ秋めいてから数が増えた。
→ アキアカネは高温が苦手。は春に水辺で産卵し、梅雨になると山地へ移動し暑い夏を高地過ごす。秋雨前線が過ぎ気温が下がりはじめると平野部に移動し繁殖活動に入る。
この赤とんぼ、9月も終わりの頃には、畑のどこにいても見かけるようになりました。
80匹はくだらない数がいます。
サワーチェリー、梅、杏、リンゴ、カボス、クコ、畑にあるほとんどの果樹にトンボが止まっています。ティピの支柱にも。ただ、まだ葉が枝に繁々と残るうちの畑で一番大樹のスモモには止まっていません。
トンボにとっては、果樹であろうと支柱であろうと、どれも太陽の光を受け体温をあげるためにちょうどよい竿がわりなのでしょうね。
見やすい目線の高さに止まるトンボが増えたから観察していると、風にあおられ枝から離れてもトンボはすぐ元の枝に戻ってきます。
別のトンボが近づき、ほどなく枝から離れたすぐあとに別のトンボがやってきたり、上空ではトンボは群れて飛んでいます。トンボ間でどのように交信しているのかしら?
なんと、赤トンボは個体数が減っており、絶滅危惧種にしている都道府県があるとは・・。
わたしたちの小さな森のある畑は、ありがたいことに、わざわざ観察に行かなくても、トンボの方から来訪してくれます。
バッタが草陰から空中を進み、草も木も虫もいっぱい、地中もミミズにモグラに、セミの幼虫と、生きものがにぎにぎしくなっています。
こうした命のにぎわいが、伝わり、次の命を寄せるのかしら。
あぁ、もっと畑にある、命のいとなみを観察する時間をつくりたいなぁ。
幻の果物ポポーから、ナツメ(棗)へ
今年は幻の果物、ポポーが大豊作でした。
8月6日の6個を皮切りに、8月20日は68個。
以降、9月16日に最後の2個を拾うまで、毎回、十数個の収穫です。ポポーは実が成熟を迎えると自然落果します。枝からポトリと離れ、大地に戻った実を、わたしたちが這いつくばり拾い集めます。
ポポーは摩訶不思議な実です。
熟し初めの皮が薄緑色の頃は、パイナップルのような香りがします。
熟すごとに皮が褐色を帯び、香りはマンゴーとカスタードを足したような南国をおもわせる芳醇な香りに変化します。食味はプリンです。
さらに熟度が増すと、皮が緑から褐色になり、まるで焼き芋のような風貌に変わります。
味は、プリンからカラメル入りプリンへとランクアップします。皮の近くが砂糖を焦がしたカラメル色に変化するのですが、味もまさに砂糖を焦がしたカラメル味なのです。
ポポーを、いろんな方におすそ分けしたところ、「気付け薬」みたい、と言う方がいました。
北米の先住民は、どんなときにポポーを食べてきたのかしら? 栄養価が高いし、薬の位置づけだったのかも知れませんね。
ポポーに続き、今年はナツメの木が成熟し、多くの実を結実させました!!
長年あこがれていた、飛騨の郷土食、ナツメの甘露煮がようやく作るこができます、うれしーい♡
10月に入ると、ポポー、ナツメの次に、柿やカボズが旬を迎えます。
二階農の実り
これは、樹下に作付けした瓜。二階農から果樹の枝を上り実る瓜。
素麵カボチャ
ヘチマは梅の木に10個ほど実をならせています。
緑米の出穂
リトルタイニー田んぼの緑米が出穂しました。稲の花が開花し受粉をしています。
稲にたっぷりお日様の陽が当たるように、田を囲み大きく育った大豆を支柱で調整。
ベランダ稲も出穂です。
自然農の会の田んぼの稲も、お陰様で出穂。デンプンを蓄えています。
出穂してから稲刈りまで、35-50日、積算温度は1000度前後が必要です。
大自然の大は、大きいではなく絶対という意味の形容詞
今年は在来種の丸ナスと青ナス、スイカを作付けしました。
うちで採れる野菜や果物の特徴は、肥料や耕さない自然農法に加え、粘土質の土壌のため、大きくは育ちませんが、食べると味の濃さを感じます。
もう少し、正確に言うと、糖度という糖分をひきたたせた食味の美味しさ、というより、思わずじっくり味わいたくなってしまう味です。少なくとも知的好奇心が刺激されるというより、滋味まで感じ入りたくなる味というのが近いように感じます。
味の基本要素は、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味と定義されています。
わたしたちが食べて体で感じる、おいしさには、この五味がバランスよく入っているのかも知れません。
グルタミン酸に代表されるうまみ成分の「うま味」というより、食べものそのものの「滋味」をたどることができると、しぜんに美味しさや満足や、つくってくれた方への感謝を感じるのかも知れませんね。
「太陽エネルギーと、空気と水が変換されてこの食べ物が作られているんだよ。奇跡だね。人間にはどうやってもつくれない」
わたしが食べることに夢中になっているとき、うちの相棒クンは、味わいながら、話しかけます。
彼はひとりで自然農を初めて13年目、しかも週末を中心にした家庭菜園には大きい一反ものひろさです。
その実践が言わしめる言葉の数々に、はっとさせられます。
それにしても、うちの畑は、肥料をあげていなく、耕していないのに、よく育つものです。
滋味ぶかい食をいただくことは、人は自然の一部ということを実感させてくれます。
じぶんで食べるものをじぶんで育てる。
自家採種、種蒔き、育苗、草とり、作付け、収穫、加工、保存、調理・・と、
食のながれに丸ごとたずさわると、しみじみ、岡潔さんの言う、種が半年後の変化までその中に秘めた不思議、を感じずにはいられません。
「カボチャの種は半年後の変化までその中に秘めています。
この不思議まで見ることのできる人が自然を見ますと、単に自然を見ているだけではなく自然あらしめているものも同時に見ているのだ。
この自然と自然あらしめているものを合わせて大自然といい、大は大きいでなく絶対という意味の形容詞なのです。」(岡潔著「風蘭」より)(※1)
現代の科学技術をもってしても
一滴のはちみつでさえ、現代の科学技術をもってしても、ひとは作り出すことはできません。
先人たちが生きた里山のある暮らしは、自然あらしめている自然の摂理の時間のながれに人の暮らしを沿わせてきました。
遺伝子に手を加えるという、人の都合に合わせて生態を操作する方法ではなく、自然や生態の観察をかさね学び、手を掛けることで、いのちを余すところなくいただく方法を選び、完全有機型の暮らしをたててきました。
しかもその技術力は、現代の科学にも勝に劣らないようです。
完全リサイクル社会の江戸時代では、武士により園芸ブームが起き、文化文政のころに起きたアサガオブームでは、アサガオの変異に着目した下級武士たちにより作り出された、奇妙な形をした朝顔の品種「変わり朝顔」が1000にものぼるほど作り出していたというのです。
その品種の多くは失われてしまい、現在の品種改良技術やバイオテクノロジーを駆使しても再現が難しいとされているといるのだそうです。(※2)
里山のある暮らしは、
人間も自然の一部。観察を繰り返し、自然からまなぶことで、その時どきに必要な知恵を持つことができる、大丈夫、ということを教えてくれます。
(中川美帆)
※1
岡 潔 著「風蘭」
※2
稲垣 栄洋 著「徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか 家康のあっぱれな植物知識」