第69回 釜飯仲間・おこげのお話
2014.7.31神奈川・緑の劇場
和歌山県高野町筒香。Chojiくんと筒香の皆さんが話し合い準備して、横浜から駆けつけた仲間たちも応援して創りあげた野外コンサート『田んぼオブザワールド』に、今年も参加しました。
そうして、今回は、いろいろと、続ける、ということを考えました。
今回のメールマガジン冒頭の『こだま舎』は、設立35年です。ひとりの人生としては充分な長い歳月だと思います。特に、戦後の激変の時代です。たべもの、農業もすべての人々に関わる大切なテーマでした。
悲喜こもごも、語り尽くせぬ出来事がいっぱい重なって、今の『こだま舎』がある、応援、協力したいです。
さて、地域に暮らす子どもがいなくなり、廃校になった小学校を改装して、宿泊研修ができる施設にして、集落に人を呼ぶ、40年前のことを思い出しました。
今回、3回目となった『田んぼオブザワールド』の会場も、同様の廃校した小学校、(いや休校でしたか?子どもたちが戻ってくれば・・)は中筒香『よりより広場』としてスタートしましたが、筆者は40年前に長野県北安曇郡小谷村真木の同様の施設で(木造ですが)都会の子どもたちの世話をするボランティアとして夏に冬に何回が過ごした経験があります。
夏のキャンプファイアーでの点火式で、アマテラスオオミカミを演じたのが、あいつの役者デビューなんやで、と、当時の仲間うちでは言われています。
40年という歳月を経て二十歳の若者は還暦のじいさんとなりました。が、今回、よりより広場を訪れた花坂小学校の全校児童10名(ひとり欠席)と杉の木の看板に絵を描いて過ごした、わずか1時間まで、あの小谷村での日々とつながっている、と思えたのです。私の中では、ずっと続いている何かがあるようです。
筒香の夏祭りに参加し、隣り合わせの集落でのイベント、『富貴市』にも参加したこともあり、個人的には5回目の富貴・筒香。
限界集落といわれても、顔馴染みになった皆さんと、これからも、ずっとずっとご一緒させていただくのだな、と思えるのです。
そうして、私たちは、しぶとく楽しく、暮らし続けたい。
お世話になった筒香の集会所。帰り際に横浜からワゴン車で行ったメンバーたちで掃除したら、とても感謝されてしまって。
でも、暮らす、とか、関わるとか、そういうことでもあるのは、確かです。
2014年7月31日記(おもろ童子)