第53回 釜飯仲間・おこげのお話
2013.3.31神奈川・緑の劇場
ずっと変わらない、変えるなんて無理って思っていたことが、変わることってありますよね。
煙草の害を語るのに勇気を必要としたのは、わずか40年前でした。
神奈川・横浜の緑や海が、急速に失われていったのはもっともっと前からだけど規模がでっかくなったのは40年位前かなあ。
原発は無くしましょう。核兵器もね。これは、必ず実現させなければなりません。
自然環境を大切にした農林水産業、それが基軸になる国造り、いつか必ず求められる時代が来ると思うのです。これ、庶民の勘です。
「農業は守ります!」って言われて、それ真に受けて、結局また、補助金漬けの自立をさせない政策で手を打つのかな。
行き着く先には、原発ありでしたが。
科学技術の進歩に、考え方、価値観、心の進歩を追い付かせるのは容易ではないですね。
必要なのは「庶民力」かな。
それでも、必ず、自然と調和した暮らし方にたどり着くはずなのです。そのほうが、体がきつくても、心が楽そうですよ。
人間の暮らしを快適にするはずの科学技術が進歩しても、周りには、生きづらさを抱えた人、いっぱいです。あっ、私もずっとね。
日本列島の自然を活かし、自然に生かされてきた暮らし方。
20世紀に消えていった祖先たちの営みの中に、私たちの未来に向かう道が指し示されていると思います。
だからこそ、今、民族文化映像研究所(民映研)の映画の「はまどま」での定期上映を実現させようとしています。
すでに実際に見ることは叶わない、人々の暮らしの貴重な映像記録です。
「木のように生きることを目指したい」と思い始めたのはいつ頃からでしょう。
「私は貝になりたい」は、フランキー堺主演の、録画ができない生放送で演じた時代のテレビドラマ。
奇跡的にビデオ録画されていたので再放送も観ることができた、と記憶しています。
戦後、復員して家業の床屋に戻ることができた男が、戦地で上官の命令で捕虜を殺害したことが、戦犯として問われ、絞首刑にされてしまう。~今度、生まれて来る時には、深い深い海の底の、私は貝になりたい~ 終幕のセリフは、このようなものではなかったでしょうか?
~私は木のように~とは、よほど人生を諦めた感じがプンプンですが、実際は難しいことです。木の偉大さを感じます。
一つの場所に根を張ってみたい。一つのことをやり続けてみたい。
そうして、町の風景の中に溶け込むことができたら。
根も張れず、続けられず、もちろん人々の記憶に残りもせず・・それでも良いではないか、と開き直りながら。
そして、出来ない未来に悩むよりも、わずかでもやれたことを、力を合わせた仲間や、支えてくれた人々に感謝し喜びあいながら。
変えたいことを変えるために、変わらないことを目指す日々です。
おもろ童子(2013年3月30日記)