第42回 釜飯仲間・おこげのお話
2012.5.1神奈川・緑の劇場
「はまどま」で、毎月1回開催してきた「神奈川野菜の食事会」は、66回目を迎えます。「はまどま」の会場が狭いために、多くの皆様にお声かけができず、NORAの会員と会員紹介の皆様だけのお誘いになっていますが、このような、「生産者と繋がった食事会」が日本中で開かれて欲しいと願っています。(いえ、すでに各地でその地域ならではのすてきな食事会が開かれていることでしょう。)「~食事会」で出会った人々と「はまどま」周辺の出来事をコラムにしてきた”釜飯仲間・おこげのお話”も42話です。
昨年の大震災以降は、このコラムに何を書いていいやら、迷いながら一年を過ごしてしまいました。そして、改めて、”食・農・表現・そして仲間たち”に思いをいたしてみたいと考えています。
NORAの多様多彩な活動の中の一つとしての「はまどま」であり「野菜市」であり「食事会」。なにより、仲間との出会いと輪の広がりを、もっとも大切にと願い、しかし、コラムとしては、そのあたりを”お気楽”に書き始めたのですが、まず、TPPが菅総理から出されてきた2010年秋に、”お気楽”にしていられなくなってきていました。
「地産地消」の活動に、ほぼ四半世紀携わってきました。約10年前に「地産地消」ということばがマスコミに登場し始めました。「~食事会」を始めたころは、まだまだ、説明が必要なことばでしたが、神奈川とその周辺の農業の魅力と、その危機的な状況と支援の必要をささやかに発信し続けてきました。そして、毎日の暮らしに、身近な農業と、その担い手、生産者を意識することの大切さを「野菜市」を中心に表現してきたのが約8年前からです。NORAの会員を始め多くの皆さんに支えられてきた8年でもありました。
しかし、「野菜市」だけでは、表現しきれないことも多々あります。いくつかの”柱”をたてて、それぞれが繋がって機能することも大切だと考えています。
一つは、なによりも日々の食卓への利用です。「野菜市」はそのきっかけです。
※「消費者」ということばを、こと農業・食糧問題では好みません。消費者とは費やして無くす、という経済用語だとか。私たちの営み、特に「地産地消」は、循環する生産の一環としての利用だと考えます。とすれば、「地産地利」なのですが・・・。
都市生活者の日常は必ずしも自炊ばかりはできないし、高齢になれば食べる量も減少します。家族の人数も少なくなり年齢を問わず一人暮らしが増えています。そこで、自分が利用できなくても、周囲に普及することがとても必要だとも訴えてきました。
一つは、直接、生産者を訪ね交流をはかることです。できれば、農作業のお手伝い、お手伝いがおこがましければ、”農作業体験”が望ましいけれど、農地まで出かけて生産者の話を聞くことだけでも大変に有意義です。
小さなことかもしれませんが、よく「顔が見える」っていいますが、「生産者の顔が見える」ことだとほとんどの人は考えていますよね。”安全でおいしくて作物本来の栄養のある”農産物づくりには、「利用者の顔が生産者に見える」ことのほうが何倍も大切だと考えています。
※もうひとつ、ついでに言うと、「信頼できる生産者」とは言いますが、「信頼できる利用者」という意識は、ほとんどの人が持っていませんね。生産者から見て、信頼できる利用者が増えないと、例えば「形」だけ「見かけ」だけの作物は無くなりません。そして、流通業者が負っている責任は大きいと思います。昔から「消費者が解っていない」という言い方があるけれど、それにはくみしません。利用者に解ってもらう努力をどれだけしているでしょうか?
一つは、生産者が、”安全でおいしく本来の栄養のある”作物を育てようと努めてきた味を知ること、知らせることです。
※このような作物を、単純に「有機農産物」とかなんとか、ひとことで簡単に表現するのが当然と思ってしまう都市生活者の傾向を好みません。そのような傾向を助長するのは、この場合も流通業者でしょうが。複雑で多様な作物の生産。同じ作物は二度と手にできない、工業製品との違いを意識することが大切ではないでしょうか。
「~食事会」は、まさに、そのような作物の試食会であったし、これからもますます試食会として貴重な場に育てられたと考えています。
NORAの食事会は、生産者と直接つながっていること、なぜ「野菜市」なのか、「~食事会」なのか。明確な考えを持って取り組んでいることで、ふんだんに季節の作物を活用することが可能です。
近年、生産者の確かな季節の作物を活用してカフェやレストランを経営する仲間との繋がりも出てきました。彼ら、彼女らと情報を共有し、悩みを話し合い、さらに「地産地消」が暮らし」に根付くように努めたいと考えます。
食べ物で一番大切なことは?人々が飢えることなく命を守り育むこと。地球上で8億人が飢餓状態にあり、飢餓が原因で次々と子どもたちが亡くなっていると言います。ついに、日本でも飢餓による死者が報道されました。国内の生産環境を汚染し、食糧自給率を減らしながら輸入に頼り、しかも大量に廃棄して、なお、”自分(たち)だけは安全な食糧”を得て得意げな振る舞いはしたくありません。
釜飯仲間・おこげのお話 次回から、どのような展開になるか!乞うご期待! (おもろ童子・2012年4月29日記)