第28回 釜飯仲間・おこげのお話
2011.2.26神奈川・緑の劇場
たぶん、多くの国民が最後の切り札的な期待をこめて交代させた政権が揺らいでいます。腹立たしさよりも、ため息まじりの、あきらめよりも、いいしれぬ不安感が地表を静かに覆いはじめたようにも、感じます。今年も自殺者が一万人を越えるのでしょうか?
そんな暗い先の見えない毎日でも、私たちにはご飯が必要です。で、どうせならおいしいほうがいいし、できれば、一人よりも気心のしれた人と一緒に楽しく食事をしたい。「家族団らん」が望ましいけれど、一人暮らしでも、仲間との会話を楽しみながら!
そんな「はまどま」を拠点にして、地域のみなさんとのコミュニケーションを求めていたら、なんとなんと「会話をしてはならない!」「声を出してはならない!」という地域の行事に出会いました。それは、「十五夜に七つの橋を渡る行事」です。
横浜市南区役所が区制60周年を記念して平成15年(2003)12月に発行した横濱南区「昭和むかし話」のコラムに紹介されています。
以下全文をご紹介します。
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「十五夜に七つの橋を渡る行事」 岡田 弘
私は南区で生まれ育って七十年になりますが、昭和十年ごろまで行われていた十五夜の行事を紹介します。
十五夜のお月見の夜、玄関を出たら声を出してはいけません。七つの橋を渡りながらお月見にお願いごとをするのです。一つ橋ごとに七つの願いをするとの説もありました。
七つの橋を渡ると、向こう岸ですから、七つ目の橋でこちらの岸に戻って来なければいけません。声や咳が出てしまったら、家まで戻りやり直しです。途中で知り合いの人に会ってしまった時がつらいのです。最後まで無言で橋を渡り、家の玄関まで戻ってきて終わりです。
子どもたちは、家に戻ってくる大人たちを待ち受けて、最後に笑わせたりして後で怒られたものでした。
どうですか、あなたも子どもや孫と挑戦してみてはいかがですか。意外と楽しく終わった後の心地よい疲れが気分をすがすがしくしてくれます。
おそらく、昭和十年ごろまで中区や南区だけで行われていた行事と思われますが、戦争が始まった昭和12年を境にすっかり途絶えてしまったようです。我が家では今でも十五夜を迎えると続けている行事です。橋のたくさんある南区にぜひ残したい行事です。ぜひ、皆さまに知っていただきたいと思います。 (宮・花・宿三・四丁目町内会) 》
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秋の、「中秋の名月」にかぎらず、十五夜のお月様に願いごとを!あなたの家が、大岡川界隈になくても、例えば「はまどま」から歩きはじめて「はまどま」に帰ってきてみたらどうでしょう?
次の十五夜は3月20日日曜日です。3月20日には、みんなに呼びかけてやってみようかしら? それならば、まずは自分の身を持って予行演習だ!実際に歩いてみれば…発見!発見!また発見!の連続でした!
さらにさらに!この行事をもとに「紙芝居」をつくった地域の方がいらっいます。先日「はまどま」でその紙芝居をご披露していただき、この行事が現代でもしっかり生きていることを知るのです。
どんなに世の中が暗くとも、お月様は私たちを照らしてくれる…満月ならば尚更、「7つの橋の願い事」をやっている最中には、通りすがる者同士の顔もハッキリ見え、知り合いと分かればどうしてもおしゃべりしなくてはならない状況になるはず…だからこそ一言も話さずに橋を渡るということは、それだけ難儀であり、願い事が叶うに値することなのです。
次の満月のころは…虎視眈々と次の首相の座を狙う議員の願いが…叶うのでしょうか?
(おもろ童子)