第6回 釜飯仲間・おこげのお話
2009.5.1神奈川・緑の劇場
さてさて、皆様。わがNORA会員、Nちゃんは、他の仲間と同様、忙しい都会暮らしに追われる日々。『いつかは農的な暮らしがしたい!』と、密かに願っているひとり。
先日の野菜市で、収穫したての竹の子を前に、「あ~っ!【先週買った】竹の子!今日こそ茹でなくちゃ!」
・・・・・・・・で、新しい竹の子と、【先週の】竹の子を、家に帰ったら茹で比べしてもらうことにしました。もちろん、糠を渡して・・・・やがて、電話をくれました。「先週のは腐ってたぁ。竹の子って、そういうことだったのね!」
≪竹の子は速やかに茹でなければならない!≫ことを、忙しくても自分で料理して、季節の味を食べるようにしたい!と行動したから、Nちゃんは今年知ることができたのです。
私たちは、彼女を笑うことはできません。
【告白1】モヤシって、いつも生で食べるものだと、ずーっと思っていた。(S男)
【告白2】白菜を買って袋に入れたまま立てておいたら、花が咲いた。買った白菜から花が咲くなんて知らなかった。(U子)
【告白3】小さいころ、グラタンがどうしても食べたくなって、とりあえず、皿に野菜を入れて牛乳を注いでオーブンで焼いてみた。が、いつまでもグラタンにならず、1時間後に焦げた。(K子)
【告白4】初めてご飯を炊こうとした時、水を入れることを知らず、お釜で米が焼けた。(Y男)
さてさて、さあて皆様。
私たちは、伝承・継承を軽視した時代の同胞(はらから)です。里山に学び、暮らし方を変えよう。『農的』な暮らしを求めようとするのは、どこかで、命の継承が危ないと感じているからか?
ところで、皆様。
この『農的な暮らし』や、はたまた『自給自足的な暮らし』などと、近頃よく耳にするし、私たちも使ってしまう、『的』って、なんでしょう?
農業で生活を立てるのは難しいし、その気もないけれども、自分で食べるものぐらいは作ってみたい、なるべく豊かな自然の中で暮らしたい。『的』ってところに、販売農家に対するへりくだりの気分がこめられていたとしても、販売農家からすれば、そんなところでへりくだられても困るのではないか?と思うのです。
むしろ、国民の命を支える食糧を生産する農業の担い手との関わりを、日々の暮らしで強めることが、今、緊急の課題ではないでしょうか?都市生活の中でも、身近な生産者が収穫した竹の子を初めて自分で茹でて食べようとしたことは、身近な生産者と日々の暮らしをつなげようとした『農的な暮らし』への大切な一歩だと思うのです。
皆様、この話の続きは、いつかまた。ただ、『農的な暮らし』を求める私たちと、農業に携わる人々とのギャップは、想像を絶する事態…ではないかと、思われるのです。
(おもろ童子)