第36回 ノラ(野良)はじめは米俵づくり
2020.2.1映像の持つ力
米俵の蓋は太陽がモチーフ
冬至を過ぎすっかり日が長くなりましたね。こないだまで夕方4時を過ぎると真っ暗くなっていたのに、今では5時を過ぎても明るい。いよいよ畑仕事に精を出せます。
2020年のノラはじめは米俵づくりで幕を開けました!米俵は米を運ぶ器。側面と蓋を繋げて完成ですが、けっこう数字や幾何学が出てきたりで面白い。でもなんでこんなに手間をかける必要があったのかしら?実はその形にも知恵があったのです。
まつりごとは「神を迎えて意志統一を行う」
1月にNORAで開催した「里山の恵み伝統文化に出会う上映会」では、銀鏡神社の霜月まつりと新潟県青海町の小正月の行事から里山の知恵をたどりました。
霜月まつりは、冬至にかけ太陽の力が一番弱くなり過ぎると日が長くなる、太陽の復活と再生の時に、集落に神様を迎えおこなわれます。今年の恵みに感謝を捧げ、神楽で神々と舞い遊び来年の豊穣を願います。
作品「山に生きるまつり」※の中で宮本常一さんが、「まつり」っていうのは、まつわる、あるいは、まとうと言うように、皆んながまつわってひとつになることであり、まつりごとは「神を迎えて意志統一を行う」こと。こういった行事が「まつり」なんだとおっしゃっていました。
さて、神を迎えてどんな「意志統一」を行ったのでしょうか。
週末ノラ仕事やワラ細工をはじめて実感することは、台風が何度も襲来した今年も、野菜やお米が育ちありがたいなぁってこと。やっと実った芋をかじってくれたアライグマくんには、あなた用の畝をつくるから、あれこれかじるのは手加減してねと。しぜんと空をみあげお願いですから伝えてくださーいってなる。
人間も自然の一部
〝人間も自然の一部〟里山の仕組みをみていると、人間も自然の一部だってことが、みなの意識や生活の基礎にあるのだなと感じます。ノラ作業は実がなるまでに何年と気の長い作業の繰り返しも多い。お米の1粒、タネの1粒も無駄にしない、拾います。自然は厳しくもあるが生きるために必要なものを得られることを実感できます。
きっと、まつりは、人間も自然の一部〟を、共同体のみなで確認しねぎらい合う時間でもあったのでしょうね。今日もそうであるように、そしてわたしたちが去ったあとの未来まで続くように。年中行事では神様とつながる場でもあり、季節の変化に合わせた暮らし、自然の摂理の律を体で覚え技術を伝えたり磨く機会でもあったと感じます。それが里山の風景をつくってきた。
家の一番近い里山はベランダ。いま、春を告げる梅の実が1粒だけふくらんでいます。昨年、ベランダの防水作業や外壁工事の関係で、梅の木を何度も移動させたり枝にぶつけてストレスを与えてしまったから咲かなくても仕方ないのに、蕾がほろこびはじめています。ありがとう。
あ、でも、そんな一粒だけふくらんだ梅に、もうアブラムシが来ている。ほんと人よりずっとずっと精妙な情報をキャッチして動いている生物たちがたくさんいますねー。
里山の技術は過去のもの?いえいえ、そんなことはなく産業廃棄物の会社で、ある工程に生かされていました!。その道具とは唐箕です。詳しくは、次回に報告しますね。
「里山の恵み伝統文化に出会う上映会」、次回は3月に開催です。
※「山に生きるまつり」1970年/38分/民族文化映像研究所制作
(中川美帆)