第121回 釜飯仲間・おこげのお話
2019.1.31神奈川・緑の劇場
神奈川の農業のこと、食べ物のこと。生産者に寄り添って31年
「はまどま」のある大和ビルの3階に編集局を構えていたミニコミ誌『ほのぼの』が、2019年1月をもって終刊を迎えました。
年4回発行の季刊誌は19年の歳月を重ね“地域生活を豊かにする情報誌”として活動されてきました。最終号は600部の発行とのことです。
最終号に私も寄稿させていただくことができましたので、今回は、一部手をいれて以下に掲載します。
(おもろ童子)
身近な生産者と育む神奈川の風土 18<最終回>
18回・4年半に渡って拙文を掲載させていただけたことに深く感謝申し上げます。さらに、長年の「ほのぼの」発行を続けてこられたことに敬意を表します。お疲れ様でした。
前回号を、私から初めて受け取った50代くらいの男性が、「ほのぼの、読みましたよ。素敵な冊子ですね。」と言ってくださいました。
私は、20代後半から30代になったころ、同世代の仲間たちと『こあ』という冊子づくりを始めたことを思い出します。35年も前のことです。私自身、生活環境が変化した時期で、すぐに続けられなくなりました。
明治150年、横浜開港160年、戦後73年・・。日本列島で暮らした人間の歴史だけを見ても、わずかな年数の間に激変した時代に私は生きてきました。生活様式、衣食住、地球規模の自然環境。これからも、まだまだ激しい変化は続くのでしょう。
そして、その変化にはなるべく近づかず、違う価値観を求めてきました。それほど意識的であったわけではなく、結果的にそうなったのかもしれません。
幸いなことも沢山ありました。何より、戦後、「日本国憲法」のもとで成長し成人できたこと、職業選択の自由がある中で、人生の道筋は自分が選択してきたと言えること。医学の進歩で、また、栄養に恵まれた食生活を得て、先人たちとは比較にならないほど長らえることが出来た幸運にも感謝しなければなりません。電化社会、車社会などの便利さにどっぷり浸かっていることも事実です。
それでもなお、人間社会は、産業革命以前の、日本で言えば江戸時代までの人々の暮らし方を覚えていようよ!と願うのです。それが、未来を生きる人間にとって、きっと大切になると思えるのです。何よりも心のありようとして。
日々の生活に欠かすことのできない「食べ物」を育み、技術が発展したとしても自然と向き合う営みは続くであろう農林水産業に関わる人々とともに、都会人であっても彼らと繋がって日々を過ごしている意識を持ち続けることが、きっと、とても大切になってくるに違いないと思うのです。
今は、900万人を超える人々が暮らす神奈川です。では、いつまで?1000年後も?日本列島で暮らした人間の歴史から見れば、ほんの一瞬にすぎない激変のただ中にあって、取り返しのつかない破壊と汚染、喪失になるべく加担せず、むしろ1000年続く宝と思えるも
のを次の世代に手渡せたなら、それで私は幸せだったと思いたいのです。