第99回 釜飯仲間・おこげのお話

2017.2.26
神奈川・緑の劇場

~若い世代の皆さんと、一緒にどこまで歩いていけるかな?幸せをともに感じたい~

2017年に入ってから、あまりにも世の中が騒がしい。

身近な生産者に寄り添って暮らして30年は超えただろうか。生産者たちは、いよいよ老境を迎え、息子たちが担い手の中心になってきた。30年前には、先代が現役だったから、思えば3代の生産者一族のそばで暮らしてきたことになる。

農業とは関わりのない生い立ちの者として、幸せに思うし、改めて深く感謝したい。 幾世代もの生産者が繋ぎなから積み上げてきた努力の結晶は、神奈川の気候風土にも恵まれて育まれ、生命力のあるおいしい作物となって私たちを笑顔にしてくれる。幸せにしてくれる。

月に一度、老人ホームで民話を語り紙芝居を演じる。老人たちは楽しみに待っていてくださる。小学校の放課後キッズにも伺っている。一年生を中心とした子どもたちと顔見知りになる。東日本大震災の前の年に生まれた彼らにとって、どうやらおじいちゃんと同じような人が紙芝居を演りにくる感じなのだろう。子どもたちに囲まれる時間も幸せだと思う。

ところが、戦前の教育勅語を子どもたちに「素読」させる学校があるなどとは驚いた。 それならば、という訳ではないけれど、日本列島で、わたしたちに命の作物を育んでくれている神奈川で、先祖たちが暮らしの中で語り継いできた「民草(たみくさ)のものがたり」を、私はこどもたちに語ろうではないか。幾百の「ものがたりの中に生き続けてきた命」を、子どもたちの想像力の世界に甦らそうではないか。

神奈川野菜・生産者限定の野菜市には、社会参加・復帰を目指す若者たちがやってきてくれる。行政の担当部局から紹介されてくるのだが、体力の衰えた身には若者たちの応援はたいへんにありがたい。「今日は楽しかったです。」と笑顔になってもらえて、私は幸せなのだ。

だから思う。戦争を生きのび、戦後日本を支えてくださり、今は静かな日々を送られている諸先輩の皆さん。「二度とあやまちはくりかえしませぬから」と広島の碑に刻まれたことばを私は大切にしたい。子どもたちを戦場に送ってはならない。戦争の準備のために次々とたくらみが進行している。一見綺麗なことば、声高に叫ぶ勇ましい声の裏側にも耳を傾け本質を見極めたい。ごまかされないように気をつけて、自分で判断できるように心がけたい。

「飢餓」はある日突然やってくる、と以前にも書いた。格差社会だから、「飢餓」は弱い立場の人々のところへ、まずやってくる。食糧自給率が40%を切って、まもなく団塊世代が一斉に生産現場からリタイヤするのに私たちの危機感は乏しい。目の前には、ご馳走が山になっている。だが、70億人の胃袋を満たす力は、この地球上にはない。水産物の世界では、すでに日本は買い負けている。海に囲まれた日本なのに、沿岸・近海の魚影は薄くなってしまった。

何を体に入れるのか、高齢者にとって日々衰えていく食欲。誰が、どこで、どんな作り方をした食べ物を選ぶのか、個人の行動が重たい選択になってきていることを自覚したい。自分で選ぶことができない子どもたちの「食」を、どうやって本質的な豊かさにするのかは、親だけではない大人たちの重大な責任だ。価格の安さで左右される消費行動は、畑の力を弱めてしまうが、一人一人が、ちゃんと購入できる所得も皆で求めていきたいと思う。 命とか幸せを、経済効率の物差しでははかることはできない。

「はまどま」で竹細工の工房が催され毎回定員いっぱいの参加をいただいている。見事な作品、生涯、いや子々孫々までも使える暮らしの道具が生まれている、といったら大袈裟だろうか? この作品をひとつ作るためにかかった労力、経費を積算したら・・・。計算のしようもないだろうが。 本物の食べ物、本物の食べ物を育む大地もまた、経済効率、市場経済、資本主義などとは、合い入れない。生産者の、一刻もとぎらすことのできない作物への、大地への思いを 金額で換算などできない。

本物の豊かさ、幸せな時間を「はまどま」で、はまどまを飛び出した「川井緑地」をはじめとしたNORAがかかわる里山で、皆と体感できるような営みを目指したい。

(2017年2月25日記 おもろ童子)