釜飯仲間

第82回 釜飯仲間・おこげのお話

2015.8.31
神奈川・緑の劇場

この稿では、特に「はまどま」での出来事、「はまどま」で出会った皆さんにまつわるお話をお伝えしようとしています。

NORAの事務所を、フリースペースとして活用しよう。NORAの会員が集う場にしよう(事務所専用時代がそうだったように)。
大都会・横浜の片隅で、「里山の入り口・里山に学び、里山を都会の暮らしに活かす場」にしよう。
そうして、「はまどま」と名付けて、まるまる7年が経過しました。
「はまどま」に関わる仲間たちには、それぞれに思いがあり、その思いの数だけ、多様な活動が起こり、育まれてきたのだと思います。

「はまどま」は、参加する人々の多様な個性を認めあっていくための「人々の暮らしの中のビオトープ」かしら?
筆者としては、杉並区阿佐ヶ谷の劇団展望時代に出会った、西荻窪「ほびっと村」の活動が原点にあります。
もう40年もたってしまいました。

無農薬・有機栽培の野菜のお店。
安心、安全な食材のカフェ。
健康、暮らし、農業、自然・・。
店主が、皆さんに読んでもらいたい本を並べた本屋さん。

そして、けっして広くはない、畳敷のフリースペース。ここで、お芝居をやったのです。
小劇場での上演が珍しくはなくなってきたとはいえ、まだまだ「どこでも芝居はできる」ということには慣れていない時代でした。
芝居の内容は重要には違いないけれど、狭いスペースで芝居をすることによる想像力をかきたてる演劇手法にも関心が集まったと思います。

「ほびっと村」は、今でも地域の人々の大切な場になっていると思いますが、横浜でも地方自治体の、地区センターとか、コミュニティーセンターなど、同様の機能を持った行政サービスが充実する一方で、より主体的に運営したり、活動に参加して、地域のコミュニティづくりをすすめようとする「コミュニティカフェ」も各地に開かれています。
「はまどま」は、不特定多数の皆さんに飲食を常時提供する場ではありませんから、「コミュニティカフェ」とも異なると思いますが、横浜のコミュニティカフェが集まって、情報・意見交換をして、それぞれの活動に役立てようとする集まりに加えていただいています。

「はまどま」の場合は、まず、NORAとしての様々な活動という幹があって、その幹から派生したり、幹にさらに光をあてたり、いずれにしても、NORAの全体の活動と無関係ではない、ということが大きな特徴だと思います。

では、NORAの活動と無関係なこと、言い換えれば、人の暮らしと無関係なこと、など無いわけですから、「やりたい」と思う取組みがNORAの活動と、どう繋がるのか、関わるのかを、しっかり考えてみる、ということが大切に思えます。
そうしてみると、それまでは気が付かなかった里山と関わる視点が持てたり、里山という「鏡」に「やりたい」ことを映してみると、いままで以上に可能性が広がったりもしてくるのです。

次に、NORAが、特に「はまどま」を通して、地域の皆さんとの繋がりを大切にしよう、としてきたことは、もう一つの大切な特徴です。「森」の中にのみ活動を埋没させることなく、日常の暮らしとの関わりを意識する、そのためにも地域の皆さんとの結びつきが必要だと考えています。
こういう立場があるから、「コミュニティカフェ」の皆さんの輪に加えていただけているのかもしれません。
地域こそ、多種多様な考えを持ち、関心も千差万別、暮らし方もみんな違います。

「はまどま」のある横浜市南区宿町界隈は、歴史が浅いと思われている横浜の中では、古くからの営みが記録され、縄文時代から綿々と連なる各時代の遺跡・史跡・名所もあり、近代では、震災・戦災を経て戦後復興でも横浜の中心的な歴史に登場する土地柄です。
それだけ、多様な人々によって構成されている地域とも言えると思います。

この地域で、「里山」というキーワードが、人々に受け入れられることは、簡単ではありません。
ですが、だからこそ、地域の皆さんの、暮らしのリズムと調和しながら、わたしたちの思いを遂げることに、やりがいもあり、地域の皆さんから向けられる笑顔が増えることに喜びも得られるのです。

さらに、もうひとつ重要と思うことは、NORAに関わる仲間の、世代が老いも若きもつながっていくことを日々意識しています。
里山に学べば明白なことです。薪炭林の更新がされなくなってどれだけ深刻な事態になっていることか・・・。
里山と、もっとも身近な関係にあるのは、農林業に携わる皆さんでしょう。

彼らが世代を連ねて未来につなぐことが大切であり、そのこともまた、困難になっている現代にあって、都市生活者の側から、農林業に携わる皆さんとの関わりを持とうとし、実際に森や竹林の手入れ、農作業の応援などに参加し、日頃の食生活を、身近な生産者から得ようとする私たちも、常に、次の世代への継承、発展を考えていかなくてはならないと考えています。
すべての活動は、同時代に生きる私たち自身のためのものではあるけれど、同時に、未来を担う人々にとって有益であるかどうかが、判断の基準なのです。
「使用済み核燃料」の処分を未来に押し付けて、利益をむさぼるなど論外です。
いずれ成人し、武器を持たされる子どもたちの命と引き換えに軍需産業を儲けさせ、そのおこばれがまわってくることに期待することなどできません。

あらゆる理屈を並べても「里山に学ぶ理念」から導かれる答えは明白です。

2015年も、いよいよ活動の実りを収穫する季節。
毎年、同じことを繰り返しているようでも、同じではない、そして、「はまどま」に引き付けられ、「はまどま」に集う人々の心に、元気が加わることの多い日々でありますように。

(2015/08/28 おもろ童子 記)