第133回 陸稲

2019.9.30
いしだのおじさんの田園都市生活

「オカボ、って、知っている?」
と、尋ねる。
と、オモシロい。
畑や田んぼのことをそこそこ知っている人でも、
「えっ?知りません」
と、なることが多く、
益々、俺としては、オモシロく、
「田んぼの稲は、ミズイネと書いて、スイトウ(水稲)って言うじゃないですか」
「はい」
「リク(陸)の稲、って書くとオカボって言うんですよ」
「え?」
「お米って、畑でもできるんですよ。」
「田んぼじゃなくても?」
「そうなんだよ。それが、陸稲!」
なぁんて、具合。
だが、そんな、知識だけウダウダ言っても、ナンだよね。
自分が陸稲を作っているからこそ、で、
「へぇー、オカボって言うものがあるんだ」
と、少し感心してくれた相手に対して、
「いや、実は、俺たち、今、作っているんだよね。その陸稲を」
と、キメゼリフ(どこが決まっているのか解らんけど、、、)
「シェアハウスとして畑を確保してさぁ、、、
味噌の仕込みのために、陸稲を作って糀にしようと思っていて、
もちろん、大事な大豆も作っているよ」
トカナントカ、、、

しかし、こんなことで話が盛り上がるなんて、
いや、時代が変わったなぁ、と、つくづく思う、58歳、バブル世代、、、

シロート田んぼ歴30年を超えるこの俺だけど、
陸稲は初めて。
初めてのチャレンジは楽しかった、と、思う。
仲間がいたので、、、

いや、まだ過去形にはできない現在進行形だけど、
とりあえず、稲刈りが終わって、ホッとしている。
ちゃんと、乾いてくれるかなど、心配は尽きないけど、、、
(デキグアイ=収穫量などは、また、別途お伝えしたい)

最近では、陸稲は、まず見かけない。
しかし、20年位前まではこの辺り(横浜市青葉区近辺)でも見かけた。
今ではあかね台などと呼ばれている恩田の辺り、
今ズーラシアになっている三保から光が丘にかけての地域、
などなどで、実際に畑に米が実っているのを、俺は、見た、ことがある。

それはともかく、
シェアハウスに集う仲間と今年の春先に味噌の仕込みをして、
そのときは、大豆も糀も買ったものを使っていたが、
(これが、お姉さんたちにセレクトしてもらったら、びっくり高級高額の品。)
「味噌の豆、自給してみたいよねぇー」などと話が出て、
俺は、幸陽園農耕班、グリーン、な~に谷っ戸ん田で味噌豆は自給していたから、
「ここ(シェアハウス)から徒歩圏内の畑で大豆を作付けようよ」
と、提案し、
「糀も自給できないかなぁ」
という声も出て、、、

糀を自分で作るのは、いくつかの農家さんがアタリマエにやっている、
ことを知っていた。
だが、それが、非農家ではアタリマエではないことも、識っていた。
発酵を見守る技術と設備と、
そして、なんだろう、魂、みたいなもの、、、
だがだが、「チャレンジしたい」という声が出た。
「ならば、大豆の隣で米を作るか?」
と、話し、
陸稲の提案となった。

そんな畑?
どこかにあるだろうか?
うん、
うん、
うん、
Sちゃんに頼もう、
と、思った。

Sちゃんは、中学と高校の同窓生。
家は、俺が高校に歩いて通っていたときの途中にある。
(高校時代、いろいろあった。ナイショ)
地元で鳶をしていて、シェアハウスの増築部分の基礎を打ってくれたし、
チョージライブのときは木遣りを披露してくれ、チョージくんも感激。
(中略)
シェアハウスから徒歩15分ほどの畑の一部を使わせてもらえることになり、
1畝ばかりに陸稲を播くことができた。

種まき前の芽出しは桶で浸種。
シェアハウスの入居者Rさんに水替えを頼れて良かった。
種まきはクリーンシーダーであっという間だった。
Sちゃんがトラクターをかけておいてくれたので、楽だった。
種まき後の芽出しは黒のビニールマルチ。
風雨の強い日があって、出勤途中に風ではがされているのを発見。
(畑は俺の通勤途中にあって、運転しながらチラリと見ることができる)
夕方、Rさんと慌てて駆け付け、マルチをはがし、サンサンネット。
マルチやサンサンネットは鳥害を恐れてのことだ。
マルチを残した部分が煮えてしまうことがあったが、8割以上は順調発芽。
その後の生育もほぼ順調というビギナーズラック?

夏、出穂を確認したころ、近所の農家さんにブドウを買いに行った。
30年前、何も知らなかった俺に稲作を指導してくれたKさん。
藤稔、巨峰、ナガノパープル、ピオーネ、シャインマスカットなどを作付けている。
直売所は看板がないどころか、正面のシャッターは降ろされている。
勝手口のような小さなドアから入ると、常連さんたち。
Kさんが「石田さんの息子さんだよ」と母の友人に紹介してくれたり、
お客さんの求めに応じて隣の畑で収穫するところを見学したり、
楽しい時間。
「陸稲を作っている」と話すと、
「へぇ~、今どき珍しいねぇ」と、ニッコニッコしながら、
奥さんが、「もしかして、あのSちゃんの畑?」
「そうです。見られていましたか?」
「なぁんだぁ、石田くんだったんだ。Sちゃん、何やっているのかと思っていた」
Sちゃんの家は田んぼがある。
親父さんが亡くなって、Sちゃんも仕事も忙しいけど、何とか作付けている。
苗づくり、田植え、稲刈りなどでKさんに大分頼っているようだ。

Kさんと奥さんの笑顔には理由があった。
「陸稲はねぇ、あれはねぇ、パサパサしていて、不味いんだよねぇ」
「昔、田んぼが無い地域ではけっこう作っていたけどねぇ」
「ああ、糀にするんだ。ならばいいかもしれないけど、、、」
「しかし、石田くんらしいと言えば、言えるかもねぇ、、、」
「今年は雨が多かったから、ま、良かったよね」
「空梅雨だと全滅することもあるんだよね」
などなど、
奥さんの実家や親せきでも昔は作っていたそうだ。

そんなこんなで、俺がシェアハウスの仲間と地域で畑をやっていることを知ってもらった。
ブドウの後に梨を買いに行ったときにもいろいろ話が盛り上がった。
入居者さんのRさんと訪れたときは、無花果のハウスを案内してもらった。
1時間以上、ゆっくりと無花果栽培について教えてもらった。
そして、ブドウと梨が終わって落ち着いてきたころ、、、
「願いがあります」と、伺って、掛け干しの足場を借りることができた。
「軽トラ?横浜ナンバー?」と訊かれた。
「はい。やっぱり必要なんで買いました。中古ですけど」
と。
この会話には意味がある。
少し前、「石田くんの車、多摩ナンバーだね」と言われたことがあった。
いや、横浜か多摩かでどうこう言うような人ではない。
けれども、俺が横浜ナンバーの軽トラに乗っていることには意味がある。
と、俺自身が自意識過剰に、いや自己満足に嬉しいのだ。

陸稲の栽培を通じていろんなことを楽しんだ。
この先の味噌の仕込みなどもワクワクだ。
ふるさと田園都市の生活はいいね。

(石田周一:還暦まであと数年)

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