
第204回 晩夏
2025.8.30いしだのおじさんの田園都市生活
ゆく夏に 名残る暑さは
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
秋風の心細さは コスモス
8月が終わるころ、
このフレーズがおじさんの脳内でリフレインしたりする。
なんで?
初めて聴いたのは約半世紀前。
暑すぎる、
そして、雨がなく土がカラカラの8月末。
コマリハテテイル
それでも、秋の虫の声が聞こえてはいる。
コスモスを眺めたい、
秋のいろいろを楽しみたい、
と、思いつつも、
いや、
とにかく、
早く暑さが納まってほしい、
それよりもなによりも雨が降ってほしい、
そんな、今。
「名残る暑さ」とは言えないし、
この曲の雰囲気ではないのだが、
なぜかのリフレイン。
何もかも捨てたい恋があったのに
不安な夢があったのに
いつかしら 時のどこかへ置き去り
今まで「置き去り」にしたものがたくさんあり、
これからも、きっと、、、
いや、もう、たくさんというほどの時間は無いかもしれないが、、、
「不安な夢」がほしいな。
何もかも捨てたいから恋をするのか?
恋をしているから何もかも捨てたくなるのか?
あのとき楽しかったはずなのに悲しくなったのは、なんでだろう?
この曲を聴きながら、そんなことを思っていたような、、、
また、そんな気持ちにもなってみたい、
けどね、、、
空色は水色に 茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの
眼に映った色を恐れずに言葉にする。
名付けることで、対象を明確にする。
そんなセンスも勇気も俺にはない。
9月になり、稲を刈り、田んぼの季節が終わると、
おじさんにとっては、そう、「淋しい季節」。
暑さが過ぎてしまったら、それはそれで淋しいだろう。
1976年の秋。
荒井由実としてのラストアルバム。
『14番目の月』というタイトル自体が物語であり、
そして、ラストにこの「晩夏」。
半世紀前、
まだおじさんでなかった俺は、5分刈り頭の15歳。
練習量だけは他の運動部にひけをとらなかったサッカー部の夕焼けのグラウンド。
1回戦ボーイ。
NT大卒の監督の鉄拳制裁もあったな。
体力だけは育ったかと、、、
彼女の家の応接間の4チャンネルステレオ。
いや、カセットに録音して、部屋で聴いていたか。
レコードの持ち主は、彼女の2歳年上のお姉さん。
丘の上 銀河の降りるグラウンドに
子どもの声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る
藍色は群青に 薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝きだす
輝きだす
緑にはビリジアンもあったな。
「私のフランソワーズ」も好きだったなぁ。
でも、ユーミンが特に好きだったわけではない。
ユーミンは誰でもが聴いていたんだ。
俺にはベスト盤に入らないような曲が良かったのかな。
このころイチバン聴いていたのは、
ジェフベックの『ブロウバイブロウ』だったと思う。
我が家には応接間は無くて、リビングのフツーのステレオで、
それは、ラックのテレビの上に置いてあって、
(テレビの下には百科事典が並んでいたっけ)
好みのレコードを聴くのも家族のバタバタの中だったな。
5分刈り頭でブライアン・フェリーの初来日に行ったりしていた。
(つづく、、、)
もはや「気候戦争」。
と、言われているが、、、
この夏、悲しかったのは、
休日に時間はあって、畑に行きたいのだが、
あまりに暑すぎて、昼休みがやたらと長くなっていたこと。
個人的には、
来年こそはトマトやナスを豊作にしたい、
とか、
今期は、9月にいただくワラでネギを太らせたい、
などと、
野菜のことばかり考えている。
が、
農は、手段であって目的ではないということ、
もう一度、確かめないと、ね。
石田周一