
第11話 シカが消えたらどうなる
2025.3.23わけ入れど谷戸はなお深く
神奈川県内をはじめ、全国の山林でシカが増えすぎて困っているという。友人からも報道でもその話は聞く。主な原因は天敵のオオカミが絶滅したためらしい。関係者のご苦労や生態系の変化は気になる。と同時に僕の空想は反対方向にも飛んでしまう。もしシカが一頭もいない山々になったら、物事はどういう風に変わっていくのだろう。
シカが消えたあと
というのも、今住んでいる佐渡島には野生の大型動物がいない。いちばん大きいのはタヌキ。でも縄文時代の遺跡からはシカやイノシシの骨が少なからず発掘されるので、四、五千年前までそれらは生息してたのだろう(加工のため骨だけ島外から運びこまれた説もある)。一応、縄文時代にそれらは狩猟され獲り尽くされたと考えてみる。
佐渡は横浜市域の二倍の面積があり、千メートルを超える山脈がある。そこにいたシカやイノシシがいなくなった後、この島の生態系や環境にどういう変化があったか。狭くもないが広くもない島から、大型動物が消えるというのは大ごとである。本土に比べると変化は直接的、急速だったにちがいない。そこから先はその筋の専門家に尋ねてみたいが、とりあえず自力で想像するに、それらに食べられていた生き物が増え始めたろうし、その増え始めたやつを食べる生き物も増えた。
逆に、シカやイノシシに依存していた系もまた変化を余儀なくされただろう。その連鎖はひとつにはそれらの糞の消滅から始まり、昆虫、鳥類、微生物、土壌、川の流れ、海域までおよんだかもしれない。シカではないが、西アフリカのある部族は、牛の放牧でその糞によりニジェール川での漁獲が豊かになることを知っているとのこと。※1
歴史は繰り返し
以上の様なことは、最近読んだ本の一節からの連想である。※2 アジアの大陸を出て太平洋の島々に拡散していった人びとのその後について。移住者たちは大陸にいた時と同じように木を伐り動物を狩った。すると大陸より脆弱な島の生態系は破綻し、結果、人間の生活も成り立たなくなり、いくつかの島は放棄された。
しかしその失敗の経験に学んだ人びともいた。今度こそは生態系に注意を払い、それらの関係性を維持するような習慣を確立した社会は、ついに太平洋の島々で繁栄するようになったという。
さて、二十年以上前、僕が佐渡に移り住んだ頃、牛の山岳放牧が行われていた。春に海村のはずれで放たれる黒毛和牛の群れは、次第に伸びてくる草を追って山をのぼり、ひと月後には海抜千メートルの山頂に姿を現す。以降秋の終わりまで、大佐渡山脈のいずこかを黒毛和牛の群れは自由に闊歩していた。ある時は県道で自動車を止め、ある時は駐車場を占拠したりする。僕は島内最大の野生動物然としたその姿が痛快だった。昭和三十三年の数字ではその数約1,600頭。※1
この島では縄文時代の遺跡からすでに牛の骨は発掘されている。その牛は船で運びこまれ飼育されたものだ。ただし現存の和牛とはおそらく血統の連続性はない。山岳放牧の開始時期は鎌倉時代あたりかとも言われるものの定説はない。いずれにせよシカが姿を消してから数千年を経て、ふたたび佐渡の山に大型草食動物の群れが戻ったわけである。
以上のことから想像するのは、シカやイノシシを滅ぼした後のこの島で、そののち始まった放牧の歴史は、少なくとも結果的には生態系の多様性の回復に貢献したのではないかということ。あらかじめそれを予期しての行いか、あるいは途中でそれに気づいたかどうかはわからない。ただ、この島で人びとが生活を営むについて、牛放牧は生産や経済のみならず、社会の持続性を生態系レベルから底支えしたのではないか。
日本海の島々には大抵、牛放牧の歴史がみられる。その理由にひとつにはそういったこともあるのかもしれない。ただし残念ながら佐渡の山岳放牧は現在はない。
佐渡島在住 十文字 修
※1『牛の来た道―地名が語る和牛の足跡』 本間雅彦 未來社
※2『資本主義の次に来る世界』 ジェイソン・ヒッケル 東洋経済新報社