第6話  ヤタガラスはなぜ三本足か

2024.9.23
ヤタガラスはトキだった仮説

前回(第5話)では、佐渡に伝わる鳥追い歌を紹介した。鳥追い歌とは田んぼに害をなす鳥を、とにかく自分のところ以外へ追い払うための歌のことであり、また、その歌を唱和しながら村をまわる行事を言う。佐渡のいくつかの村の歌ではその追い払う対象にトキがおり、それは「白い黒いカンガラス」と呼ばわれていた。

佐渡へ 佐渡へ

トキが嫌われものだった理由はあとで述べるとして、佐渡以外、つまり本土での鳥追い歌を『農村の年中行事』武田久吉著 で少し見てみる。追い払う対象にはスズメやシジュウカラなどと共に「どう」「とうど」「どうこ」「とうじろ」が見られる。これらはトキを指す各地の方言であり、さらに言うとトキの古い呼び名である「ドウ」「トウ」「タウ」に由来するものだろう。
ところで本土各地の村々から追う払い先としては「佐渡が島サ ほってやれ」「佐渡が島へホンヤラホイ」といった気楽な調子で、佐渡を指定するケースが目立つ。これはちょっとひどいな。
「斯う諸方で佐渡ヶ島へ追ひやったのでは、この島は害鳥で一杯になりさうだ」と、武田博士もさすがに同情してくれる。先生、ありがとうございます。ちなみに佐渡の鳥追い歌で、島外に追う出そうというものはないとのこと。さすが佐渡人は奥ゆかしい。と思いたい。

トキ踏んじゃった米

ところで佐渡に移り住んで最初の頃、僕は冬に牡蠣の殻むきのアルバイトをやった。汽水である加茂湖から次つぎに水揚げされる牡蠣を、日がないちにち殻むきする。横には数人の女性が同じように座って手を動かし、おおむね誰かの噂話で日が暮れる。
あるときトキの話題になった。まだ佐渡在来のトキが健在だった頃を知る最年長の女性は、きびしい評価である。
「せっかく植えた苗を、わっしわっしと踏み倒していくのんさ」
彼女は両方の掌を半開きにして、実際にわっしわっしとやってみせた。同じく水田に降りる鳥でも、サギなら脚が長いから苗をまたぐが、短足のトキは泥の中のエサを探して歩くにしても、どうしてもそういうことになってしまう。

そのため2008年の第1回野外放鳥を迎えるまで、島民感情は賛成一色では決してなかった。「人間とトキとどっちが大事なんだ」といった議論は珍しくなかったし、それはトキとの長い付き合いの中で積み重なった迷惑体験から、無理からぬ話だったと思う。その後、本土でのトキの放鳥候補地として名乗りを挙げていた長岡市など5市町村が、応募を取り下げたのも、理由の一つはそこにある。
ところで面白いことに、トキに踏まれた佐渡産米が「朱鷺踏んじゃった米」という銘柄で売られていた時期があった。こういう逆転の発想は大好きである。ただし残念なことに今はなぜか見かけない。

功と罪の三本足

さて、ここに天賦の才をほこるサッカー選手がいたとする。巧みなドリブルは誰もとめられない。わずかなスキをついたシュートは防げない。そのボールさばきに成すすべもない相手選手は、天をあおいで叫ぶ。
「あいつは足が三本あるんじゃないか」
挙句の果てに日本サッカー協会のエンブレムになったりする。
逆もまた然り。せっかく丹精込めて田植えしたのに、トキが泥の中にエサを探って歩くと、結果、苗が倒されていく。それを見かねたお百姓さんはこう毒づく。
「あの鳥は足が三本あるにちげえねえ」

まだ朝鮮や中国の三足鳥神話などが渡ってくる以前から、稲作と共にトキと付き合ってきたこの国の農耕民は、トキの厄介さを、そんな風に三本足と表現したのではないだろうか。しかしそんな迷惑鳥が神武天皇や蜂子皇子を導いた霊鳥とあっては、示しがつかない。そこで、大和政権が力をつける過程で、ヤタガラスなる高貴な人格ならぬ鳥格を創造して実在のトキをおおい、大陸渡来のありがたき三足鳥神話をその上に飾った。
そう。難しく考えることはない。ヤタガラスの真相はそんなところに違いない。きっとそうだ。ていうか、そういう可能性もないこともない。

ということで、ここまで長々とトキをめぐる虚実皮膜の眉唾仮説続けてきた。そろそろ終わりを告げたいところであるが、でも言い足りないことがまだ少しある。なぜなら、それでもトキってやっぱり謎の多い鳥だから。
これまで以上に歴史オタクおやじのトンデモ話的ネタも、まだ在庫少々あり。そこで次回はそれらを棚卸し、トンデモ編としてまとまりなく締めくくりたいと思う。

佐渡市認定 トキ博士 十文字 修

<おもな参考資料>
『農村の年中行事』武田久吉
『全国方言集覧 甲信越編(上)』監修 白井祥平
2023年度佐渡市トキガイド養成講座資料
読売新聞オンライン 2022.12.13