第7話 トキは不思議な鳥
2024.10.29ヤタガラスはトキだった仮説
僕がそもそもこのトキ=ヤタガラスばなしを思い描くようになったのは、自分が暮らす村の村社が羽黒神社だからである。その神社の由来を調べて、蜂子皇子の故事に行き着いた。そこから山形の羽黒山の「羽黒」が、ヤタガラスから名付けられたということを知った。でもそのとき僕の中に湧いたのが、「カラスが黒いのは当たり前で、それをわざわざ聖地の名前に使うかな」というギモンなのであった。
その一方でトキへの興味があった。それは佐渡暮らしでこの鳥と接する中で、つくづく不思議な鳥だと思う経験が重なったから。それがトキをヤタガラスに結び付けるモチベーションとなったのである。
それでは、トキの不思議のいくつかを紹介させていただく。
トキ交流会館玄関前
佐渡の新穂という地区に佐渡市営の「トキ交流会館」がある。これはトキ野生復帰活動の拠点施設で、里山環境の一角に立地している。市民団体の事務所や研究機関、集会室、ビオトープ造りのための農具類、宿泊施設などがある。
この施設の正面がなぜかトキのねぐらになっているのだ。朝と夕方玄関前に立っていると、次つぎ飛び立っていくトキ、続々帰ってくるトキを観ることができる。
さて、佐渡市がこの施設をオープンしたのは2003年である。トキの野外放鳥開始は2008年だ。つまりトキ交流会館はトキのねぐら前を選んで設けられたのではない。トキ交流会館オープン後に空に放たれたトキが、ねぐらとしてその玄関前を選んだのである。これは偶然なのだろうか。念のため当時の経緯に詳しい市職員に確かめたが、ここにトキのねぐらを誘致したこと、例えば餌付けをしたことなど一切ないとの話だった。
ここで僕自身の体験をひとつ。ある時東京のNPOが募ったエコツアー御一行を案内して、国仲平野の田んぼの中にいた。そこで環境保全型農業の話を農家から聞いていた。前日来島の一行はまだトキを見ていなかった。すると、彼方から一羽のトキがこちらに向かって一直線に飛んで来るではないか。そして何と、僕たちの頭上でくるりとUターンして戻って行ったのである。御一行が大喜びしたのは言うまでもない。
赤と黒
トキの特徴のひとつは曲がった細い黒いくちばしだ。その先端だけが赤く、そこを泥に突っ込めばドジョウもザリガニも見つけることができる。積雪期もそれでエサを見つける。ところがこのセンサーの仕組みは解明されていないという。
さて、トキの体内には赤い液体がある。「それがどこで、どのように作られ、そのように作用をするのか、なにも分っていない」「上述の黒い物質と赤い物質はそれぞれなになのか。両者のあいだにどんな関係があるのか」この引用は山階鳥類研究所嘱託研究員だった安田健氏の論文からである。※『物のイメージ・本草と博物学への招待』1994年 より
「黒い物質」とは例の繁殖期に分泌される色素を指す。安田論文にあるこうした「赤と黒」の謎は、すでに解明されたのだろうか。それとも国際保護鳥・特別天然記念物であるから生体解剖などもってのほかで、いまだ未解決のままかもしれない。そのことは機会があれば確認したい。
奈良県での生息記録
このたび『ヤタガラスはトキだった仮説』を試みるにあたり、トキ関連の資料につき、全国七カ所の公立図書館にレファレンスでご協力いただいた。前に触れたようにトキはかつて日本中に生息していたので。実際、各地からトキと人の関係、歴史の情報が続々と届いた。
ところが不思議なことに、奈良県だけはトキの生息記録がないという。「・・・奈良県内でのトキの記録は見つからず、トキに関連する民話や民間伝承、方言などが書かれた資料も見つかりませんでした」※奈良県立図書情報館からの回答
さて、ヤタガラス神話が広く知られるようになったのは、『日本書紀』での記述からである。この最古の国家史書が著わされた時、朝廷は奈良盆地にあった。
できたばかりのヤマト国家が大陸の先進国家と対等に付き合うためには、こちらも格調高い歴史をもった国であることをしめす必要がある。『日本書紀』編纂の目的のひとつはそこにあった
この史書に神武天皇東征の立役者として登場するヤタガラスは、アマテラス大神が遣わしたとされる。日本書紀編纂の後、ヤタガラスには中国や朝鮮半島の三足鳥神話が投影される。
もし、このヤタガラスのモデルがトキだとすれば、前者の神格化のために、身近に実在するトキのいきさつは隠さねばならぬ。そう奈良の朝廷の権力者は考えるだろう。なにしろトキは第6話で紹介の通り、稲作にとっては厄介者であった。そして稲作はヤマト国家成立の根源にある。ならば高貴で神秘のとばりの彼方にいるべきヤタガラス像創出にとって、そのモデルの不都合な姿は消し去る必要があったのではないか。こうしてトキの姿はそれをめぐる人びとの記憶とともに葬られた・・・。
ちなみに伊勢神宮に伝わる宝刀は、柄をトキの羽根で美しく飾られている。これは消去しきれずに残ったトキとくにづくりのかかわり、その歴史の真実のなごりではないだろうか。
さいごにさらにトンデモ編
これまでヤタガラスに導かれた蜂子皇子の話をなんどか紹介した。その皇子は羽黒山、湯殿山、月山すなわち出羽三山信仰の開祖といわれている。
ところで彼が月山をひらいたと知って、僕にはひとつの連想があった。その連想の先は、何と古代エジプトの「トト神」なのであった。皆さんも一度は見た覚えがあるのでは。頭がトキ、体が人間の神の絵姿を。そのトト神のモデルはアフリカクロトキで、日本のトキと同じトキ科の鳥である。トキ属とクロトキ属の違いはあるがくちばしなどの特徴は共通している。
このトト神の性格はひとつは月の神なのであった。一方、蜂子皇子は月山をひらいた。日本でのトキの古名のひとつは「ツキ」である(それが変じてトキになったらしい)。トト神は太陽神ラーの指示のもとにあった。ヤタガラスは太陽神アマテラスが遣わした。
さらにきわめつけ。日本原産さいごのトキ「キンちゃん」が36才の超高齢で亡くなったのは、10月10日であった。ああトト神・・・・・。
もうこの辺でやめておく。東西の文明をむすぶ古代シルクロードロマンなんかにはまり込んだら、歴史オタクおやじの妄想世界から戻ってこれなくなるので。
皆さん、さいごまでお付き合いいただきまして、有り難うございました。ヤタガラスはトキだった仮説探究は、これにて打ち止めとします。
次回からは題名を変え、別のテーマを追うことにしたい。たぶん里山とゴジラの因縁話になると思います。乞うご期待!
佐渡市認定 トキ博士 十文字 修
<おもな参考資料>
出羽三山神社公式サイト
令和5年度佐渡市トキガイド養成講座での話
奈良県立図書情報館からのレファレンス回答
『物のイメージ・本草と博物学への招待』山田慶兒編 朝日新聞社
佐渡トキ保護センター公式サイト