第5話 鳥追い歌のカンガラス

2024.9.1
ヤタガラスはトキだった仮説

前回(第4話)では、ヤタガラスとは「八咫烏」であるということ、「咫」とは古代の長さの単位で概ね18cmだということ。18cm×8であればトキの「翼開長」、すなわちひろげた両方の翼の先端の間隔140cmと一致する旨、開陳した。
とは言え、率直なところ見た目から言うとトキとカラスはあまり似ていない。例えばかつて新潟本土では、トキは「カマサギ」呼ばれる地域が多かった。すらりとシャープに湾曲したクチバシだけでも、カラスのずんぐり太いそれとは大分印象がちがう。

トキの容貌がカラスに最も接近する機会。それは生殖期とその前後に半身が灰黒色を帯びるという、鳥類界唯一のメタモルフォーゼであろう。でもその紹介はもう何度かしましたね。そこで、ここでは容貌以外でのトキとカラスの共通点を、地味に数え上げていくことにする。

啼き声が似ている

あれは五年ほど前だったろうか。春まだ浅い3月頃から、やたら騒々しいカラスの啼き声に起こされる朝が続いた。明け方からカー、カーとやかましい。そのまま何故だかカラスがやかましい春の朝の数か月を過ごした。
ところが啼き声を連呼しつつわが家上空を横切る姿を、ある朝ついに僕は目の当たりにした。それはカラスではなかった。トキなのであった。「いい加減、気づけよ」と先方様に言われている気がした。
佐渡の空には渡り鳥を入れると370種以上の鳥が飛び交っている。僕の知るかぎり、その中で一番啼き声がカラスに近いのはトキである。文字であらわせばカラスが「カー」なら、トキは「カーオ」である。あの春以来トキとは身近に暮らす毎日だが、いまだに耳を澄ませないと間違えることがある。

カラスと一緒に帰りましょ

トキは山にねぐらがある。日の出前、まだ薄明るい頃に三々五々そこから飛び出していく。日中は里におり田んぼをはじめそれぞれの餌場で過ごす。夕暮れが近づくとまた四方八方からねぐらへと参集して来る。
ちょうど童謡「夕焼け小焼け」でうたわれる様に。カラスだけでなく、トキもまた啼きかわしながら連れ立って山へ帰ってゆくのだ。
もしその光景に、見知らぬ土地を彷徨する旅の者が居合わせたなら。日暮れて道とおく、今宵の宿のあてもない心細さの中、きっとあの大鳥は自分を導いてくれているのだと、その着想に縋るということもあったのでは。結果、蜂子皇子はヤタガラス、あるいはトキに導かれるままに、運命の地、羽黒山中に辿り着くこととなった。神武天皇の大和入りも同じような経緯だったのかもしれない。

♪白い黒いカンガラス

そして極めつけである。佐渡に伝わる「鳥追い歌」の中には、なんとトキをカンガラスと呼ぶものがあるのだ。島の東部の海村であるI集落では、1月16日早朝に子どもたちが連れ立って、田んぼに害をなす鳥を追い立てる歌を、歌いながら歩く行事があった。
♪四郎衛門どんの田のくろに、白い黒いカンガラス 追うてたのむぞ 田の神さん トーンボーン
冬の盛りのこの頃、トキは灰黒色に半身が染まっている。残りの部分は白色とほのかなトキ色である。「白い黒いカンガラスとはトキのことだ」と、この鳥追い歌を僕に教えてくれた現地の某氏は断言した。なお、同じ様に「白い黒いカンガラス」が登場する鳥追い歌は、島の北部の集落にも伝わっている。

鳥追い歌をもって追われるように、トキは残念ながらお百姓たちにとっては、古い時代からカラスと重ね見られることもある害鳥だったのだ。ではトキの一体何が嫌われる理由にだったのだろう。
そして皆さん、ヤタガラスの風貌をいまいちど思い出してもらえませんか。そこに思い至った時、この無理無理を承知ではじめた連載『ヤタガラスはトキだった仮説』は、いよいよめでたくも呆気なく、大団円を迎えることになるのであります。

佐渡市認定 トキ博士 十文字 修

<おもな参考資料>
『全国方言集覧 甲信越編(上)』監修 白井祥平
2023年度佐渡市トキガイド養成講座資料
佐渡市岩首地区でのヒアリング2024.5.6
『佐渡年中行事 増補版』中山徳太郎・青木重孝編