第3話 貴種流離譚

2024.5.30
ヤタガラスはトキだった仮説

有限とは無限である。佐渡に居るとそんな禅問答をしたくなる。たとえば島とは海にうかぶ限られた大地ゆえに、限りなく四方八方から異質なものたちが流れ着く。

あるいは今年もまもなくおわる田植えは、冬にこの島の山々に降りつもった雪がたよりだ。有限の大地なら連なる山も間近かに。だからその上に無限にひろがる天空から田の水はやって来ることが、容易に知れる。

その空をトキが啼きながら横切る。今の時期この鳥の半身はまだ、灰黒の繁殖色である。

若き皇子の逃避行

六世紀の終わり頃、丹後半島のとある港から一艘の船が冬の日本海にこぎ出した。海流のままに目指すは北の方角。乗っているのは崇峻天皇の子、名は蜂子皇子。そしてお付きの数名。皇子は二十才を過ぎたばかりだ。父が権力争いの渦中にあって暗殺され、蜂子皇子は従兄弟の勧めにより、意を決し生き延びるための旅に出た。ちなみにその従兄弟とは厩戸皇子、のちの聖徳太子である。

この頃、越の国北涯(今の新潟県)までは、すでに大和王権の支配が及んでいたので、一行は陸路を避け海路をえらんだ。荒れる日本海を佐渡を経て北上し、ついに当時、蝦夷と呼ばれる人びとの地であった庄内の浜に上陸した。一説によれば蝦夷の側に協力者がいたという。

皇子はやがて東方の山中に分け入り、修験道つまり山伏で知られる信仰の地、羽黒山を開基した。その伝承では、庄内平野を横切る途中から道案内をつとめたのが三本足の霊鳥、ヤタガラスなのであった。

ヤタガラスの原型をさぐる

ヤタガラスのモデルを実在の鳥類にもとめる試みは、幾つかなされている。しかしいずれも早々に見切りをつけ、中国や朝鮮半島の神話などに起源を求めることになる。なぜそうなるかというと、学問上の分類であるカラス属にとらわれてしまうからだ。失礼ながらそれだとすぐに行きづまる。

しかしトキ博士である僕は宣言する。というかこの場を借りて、あまり人に気づかれずひっそりと呟く。いやいや、里山につどう心ある人なら聞いてくれるにちがいないと信じて。

ヤタガラスはトキであった。その可能性が高い。ヤタガラス像にはトキの面影が色いろ見つかる。そう見ようと決めてしまえば、そう見える。例えば「ヤタガラス」という名前の由来から。あるいは「三本足」という特徴から等々。次回からはいよいよ、ヤタガラスはトキである仮説の核心に踏み込む。

佐渡市認定 トキ博士 十文字 修

<おもな参考資料>
出羽三山神社 公式サイト
長瀬一男「弑逆された崇峻天皇と蜂子皇子の北狄行」『環太平洋文化 第32号』
同 「蜂子皇子御影像を読み解く」      『環太平洋文化 第33号』