第2話 征服者と受難者、それぞれのヤタガラス

2024.4.28
ヤタガラスはトキだった仮説

のっけから余談で恐縮だが、最近、「のぼる人」には二通りあると思い至った。まずは山にのぼる人。麓のどこから登り始めてもテッペンの一点に収斂していく。とてもわかりやすい。

一方、それと真逆なのが川をさかのぼる人。のぼるほどに流れの合流点があらわれる。遡上する側にしてみれば分岐点である。さて右か左か。どっちを遡ってもすぐまた分岐。でも川の全体像を知るためには、その流域全部を踏破しないといけない。ところがどっこい、川の始まりなんて論理上は雨滴の数だけあるのだよ。よってテーマはこまごまと限りなく増殖する。結果、やり残しや中途半端、逡巡の足跡が無数に散乱した挙句に力尽きる。その予感はもはやリアル。

そう、何の因果か僕は山のぼりタイプではない。川さかのぼりタイプなのだ。なので「トキと人のかかわり」という名の流域探検もまた、早々に果てしない徘徊となりつつある。すると、思いもかけずヤタガラスに出くわしたのであった。

勝ち組オールスターズの一員

ヤタガラスとは、神武天皇の東征神話に登場する大きなカラスである。大きいだけでなく、なぜか足が三本ある。その類まれな身体能力?を買われ、21世紀の現在でも日本サッカー協会のエンブレムとして活躍中だ。二本の足で疾駆肉薄、ルール想定外の三本目の足がシュートを放てば、どんなゴールキーパーもかないっこない。

この勝利をもたらす大ガラスは、日本書紀ではアマテラスが神武天皇に遣わしたことになっている。遠く九州、天孫降臨の地を出発し東をめざした神武天皇は、しかし大和を目前にして強力な抵抗にあう。そこに馳せ参じたのがヤタガラス。その先導によって、ついに荒ぶる先住の神を制圧し、めでたく大和王権を打ち立てることになったのである。

ちなみにその顛末をあらわした日本書紀が世に出たのは西暦で720年。神武天皇による王権成立は、それを仮に史実として扱うならば紀元前660年の出来事となる。

逃避行の案内役

この神武天皇東征譚でのヤタガラスに、すでにトキの気配はそこはかとなく見とめられる。でもそのことは後で詳しく述べることにして、先を急ごう。

神武天皇を導いてから千二百余年の時を経て、ふたたびヤタガラスはひっそりと姿を見せる。今度は勝者を導くためではない。命からがら逃避行を続ける一人の若者を救うために。場所は当時の都びとが地の果てと蔑んだであろう辺境での出来事である。

こちらの物語は、国家が編纂した日本書紀のように、日の当たるところに大きく掲げられることはなかった。中央から遠く離れた村々に生きる人々の間で、ひそやかに語り継がれてきた。

僕がその「もうひとつのヤタガラス」を知ったのは、佐渡の住人だから。なおかつある系統の神社が身近にある暮らしだから。あの受難者は陸上の追っ手を避けて海路での逃避行の途中、この島でひとときを過ごしている。その知られざる歴史が、ヤタガラスとトキを結ぶ糸に他ならない。

今日もわが家の真上を、一羽のトキが啼きながらよぎっていった。彼も僕と同じように、きっとその姿を見上げたことだろう。その旅のつづき、次回の舞台は出羽の国(いまの山形県)、庄内平野に移る。

佐渡市認定 トキ博士 十文字 修

 

<参考資料>
公益財団法人 日本サッカー協会 公式サイト
洪聖牧「ヤタガラス伝承に関する一考察」『日本語文學 第63輯』
山岸哲・宮澤豊徳『日本書紀の鳥』太洋社