第4話 トキの大きさは140センチ

2024.6.26
ヤタガラスはトキだった仮説

旅の空。それは旅人が仰ぎ見る空のこと。では旅人はなぜ空を見るのか。

ある写真家は、旅先では「夢判断」ならぬ「鳥判断」をするのだという。人や街の顔で土地の相を判断するように空の顔も見る。なぜなら空に飛んでいるものの有り様は、その土地や人の心の反映だから。と彼は言う。

遠く都をはなれ蝦夷の地に逃れた皇子は、ある日その空にヤタガラスをみとめる。寄る辺ない彼には、その大烏(おおがらす)がまるで自分を導くように見えたのである。

ヤタガラスとは八咫烏

ヤタガラスは漢字でかくと八咫烏である。「咫」(あた)とは古い時代の長さの単位だ。これは掌を広げた際の、親指と中指それぞれの先端の間隔をさす。ものの本では約18cmとある。ためしに自分の手で測ってみると、それでよろしい。するとヤタガラスは約18 cm ×8 ≒ 140cmの大きさのカラスということになる。

蜂子皇子がヤタガラスに出会った庄内平野をはじめ、日本国内で一般的なカラスは御存知ハシブトガラス、ハシボソガラスである。しかし残念ながらこのカラスたちの全長、つまりくちばしの先端から尾羽の先端までの長さは、前者で56cm余、後者で50cmでしかない。いや、鳥の大きさの測り方にはもうひとつある。

ひろげた両方の翼の先端の間隔、「翼開長」だ。いやいや、これでもハシボソ、ハシブトともに100cmであり、ヤタガラスの140cmにはほど遠い。

国内で見られる最大のカラスはワタリガラスである。これは翼開長100~150cmとなる。俄然ヤタガラスの有力候補と言いたくなる。しかしながらこのカラスは冬季に北海道を訪れる渡り鳥であり、本州では見られない。

このように狭義のカラス、つまりカラス属の鳥に限定するかぎりヤタガラス原型探しはゆきづまる。

庄内平野のトキ

ここで遂にわれらがトキの登場となる。トキは全長約75cm。けれど翼開長はと言えば、まさに八咫すなわち約140cmなのである。ヤタガラス=トキ仮説の根拠のひとつがそこにある。現在、国内では新潟県の佐渡島の空にしか飛んでいないトキは、かつて国内では北海道南部より南、そして東アジア全域に広く見られた。神武天皇がヤタガラスに遭遇した熊野のある和歌山県にもいた。横浜にもいた。

では蜂子皇子逃避行の最終地点、山形県庄内地方はどうだったろう。時代はくだって江戸時代初期の記録によると、庄内平野を貫いて流れる赤川周辺にトキは多く棲息していたとのこと。蜂子皇子は日本海に面した由良の浜から東方の山々を目指す道中、この赤川を渡ってほどなくヤタガラスに出会っている。

その季節はいつだっただろうか。皇子の父・崇峻天皇が暗殺されたのは11月である。自身にも迫る危険を避けるには、速やかな行動が必要だ。日本海を北上するのは荒れた冬の最中になる。追っ手を逃れるための海路はやむなしとして、丹後半島から庄内まで、冬の日本海を一気に航行するのは当時の技術では至難の業だ。ならば途中、佐渡に立ち寄ったのはうなずける。

ただし六世紀末の佐渡は、すでに西岸を中心に大和朝廷の影響が及びはじめた頃である。ここでの長逗留は避けねばならない。早々にふたたび北を目指し対馬海流にのって船出する。ようやく庄内の由良に辿り着いた時は心底安堵したことだろう。しばしの休息も必要であったにちがいない。

一説によると、皇子がヤタガラスに出会ったのは春とのこと。上記の経緯からもその信憑性は高い。

さて前にも紹介したとおり、トキは世界中の鳥類のなかで、ただこの鳥だけの稀有な習性がある。繁殖期になると、首から出る黒い粉を体に塗り付けるのだ。1月頃から頭と背面が黒くなり始め、その色は春にもっとも濃くなる。

蜂子皇子が出会ったのがトキだとすれば、それは頭と背中が灰黒色のトキである。次回は、トキが広義のカラスと見なされていた可能性につき検討する。

佐渡市認定 トキ博士 十文字 修

<おもな参考資料>
藤原新也『ノア 動物千夜一夜物語』新潮社
大野晋他編『岩波古語辞典』岩波書店
山岸哲・宮澤豊徳『日本書紀の鳥』太洋社
令和5年度佐渡市トキガイド養成講座資料
長瀬一男「弑逆された崇峻天皇と蜂子皇子の北狄行」『環太平洋文化 第32号』
若松多八郎『なんじゃもんじゃ-江戸時代の自然と産物をさぐる-』エビスヤ書店
「ホテル八乙女」公式サイト